自分で自分をコントロールできる人間は、一人としていなかった。そして、それを可能にする哲人たちが現れた……
投稿日:2025年5月20日 / 最終更新日:2025年5月20日
「心のモヤモヤをどうにかしたい……」
「母として、娘の心を軽くしてあげたい……」
「母の前で、心に余裕を持って対応をしたい……」
率直に、これらは全部不可能。
心をコントロールできないことは、
自明だもんね。
なるほど、一時しのぎ。
深呼吸しようが……、
瞑想しようが……、
酒を飲もうが……、
食べても……、
SNS、
TV、
現実から逃避しようとしても、
自分で自分をコントロールしたことにはならない。
自分で自分をコントロールできるようになった先人たちとは、
ちと違う。
先週末のトレーニング。
メンタリング、
コーチング、
カウンセリング、
セラピー、なんて呼ばれてもいい……。
自分で自分をコントロールすることはできない。
だけれど、
自分をコントロールすることに覚醒した古の叡知のトレーニングだった。
情動、
感情、
そうそう。
怒り、
不安、
怖れ、
罪悪感、
定期的にやってくるじゃん。
感情と思考はコントロールできない。
そんな時、意志力を使って平静を装うことはできる。
静けさという感情で、
ほかの感情を抑圧しちゃうあれ……
後ほど、我慢の限界に導かれちゃう奴。
じゃ、自分で自分をコントロールする方法は、
意志力なのか?
もし、そうだとしよう。
その意志力って何よ?
たとえば、
「母として、娘の心を軽くしてあげたい……」
この母の気持ちだって意志力ちゃうんかい?
ということは、
娘をラクにしたい意志力があっても、
娘さん自身が、
自分で自分をコントロールできない事実には、
全く歯が立っていないじゃないか……
これも、似てない?
「母の前で、心に余裕を持って対応をしたい……」
この相談者さんは、
心の余裕を持つって知っているんだ。
だけれど、
母の前だと余裕が持てないって、
どういうことなの?
なぜ?
どうして?
それらを解消するヒントが、
こちらの相談テーマにある。
「心のモヤモヤをどうにかしたい……」
この言葉には、大きな間違いがある。
相談者さんのエゴが、諦念に達するそのときが近づいている。
心の中に生きる私は、
心などコントロールできるはずがない。
正しい言葉。
「心からのモヤモヤという啓示を見極めたい」
自分で自分をコントロールできる人間は、
一人としていなかった。
そして、それを可能にする哲人たちが現れた。
その哲人たちとは、
心に逆らって自ら生きたものではない。
心を神の意志として、
自ずから生きたのだ。
人間の意志など、
神の意志に逆らえるはずがない。
心がなければ、
人間は生きられないじゃないか。
なぜ、その心を人間の下に置こうとするのか。
誰かが死んでも、
その人の心は言葉として生き続けるじゃないか。
古の叡知の本を読むとは、
そういうことじゃないか。
そばにいなくなった、
家族。
恩師。
友。
その言葉は、
間違いなくそばにいるじゃないか。
心は一人を超えているじゃないか。
私が35年前にうつ病で苦しんだ時。
エゴそのものの自分は、
心をコントロールしようとしていたアンポンタンだった。
もしかすると、
アンポンタンは、今でもか?