勉強は答えを求める行為。学びは人生を深める営み。
投稿日:2025年9月26日 / 最終更新日:2025年9月25日
SNSで「AIを使って、誰もが簡単に本が出版できる」というジョークを見た。
なんじゃこれ。本は読まれるもので、出版を目的とするものではない。ましてや、AIが書くのだとしたら、著者は何を伝えようとしているのだろう。それが、AIの使い方なのであれば、出版するまでもあるまい。
スピーチが上手い友人がいる。
惹きつける言葉を使う。
「どこで勉強したのか」と訊ねた。
自分で学んだそうだ。一人で、自分の話す言葉を吟味している。言葉という存在に、畏怖と畏敬を持っている。
底がない。本当に立派な存在。ネットとか、AIは、不得意なことが幸いした彼。AIの代わりに、もう一人の自分と対話しながら、聴衆に伝える言霊を、日々、磨いている。
「AIを使って、誰もが簡単に本が出版できる」というジョーク、自らの言葉が本人の価値をどん底に突き落としている。その場所に、どんなものたちが集まるのか。
1990年代の後半から、本を出せば儲かるという上辺のマーケティングが流行った。そうなんだと思って、出版することを夢みて勉強した。そんな時、成功をキーワードにした本がベストセラーになった。
そのとき、直覚した。「何か違う」。出版を止めた。仲間が出版し、儲けているのを横目にして、羨ましく思いながら、「そうじゃないよなぁ」と感じていた。
30代、40代で『成功』とは何だ。そんな者が存在するのか。ちょうどそんな時、社員から渋沢栄一の名言を教えてもらった。
「四十、五十は洟垂れ小僧、
六十、七十は働き盛り、
九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」
2008年、ご縁をいただき、処女作を出版した。生意気にも出版社の社長に「小手先のHow to本は書けません」と啖呵を切った。中身は小手先に近かった。(笑)
最近、3冊目のご縁をいただいたけれど、世の中に出されると、何とも恥ずかしいものだ。
友人の過たないスピーチ。(ほめ過ぎか。)
先人が残してくれた言葉の力。
人生を学ぶ苦労と言うものだったり、成長と呼ぶ楽しみの中に、味わいや深みが出る。AIがそれを代弁できるわけがなかろう。昔から変わっていないではないか。官学であった朱子学を、12歳で教えることが叶った江戸時代。答えありきの朱子学は、考えずに済んだ。まさに勉強だ。
だけれど、一人ひとり、強みと個性をもって生きてるじゃないか。答えのある勉強が出来ても、うまくいかないじゃないか。1000年前、2500年前から同じではないか。
最近、哂ってしまうのは、答えのない勉強を弁ずる諧謔。
声に出して笑うほかないのか。
友のように、もう一人の自分と会話しながら、人生を深めてる学びに勤しむ。
勉強は答えがあるもの。
学ぶとは、人生を深めること。