正論で人間関係が壊れる
投稿日:2023年6月18日 / 最終更新日:2024年7月1日
コミュニケーションは是非善悪では成立しない
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是非善悪とは、物事の正・不正・よしあしを指します。
そして、様々な場面でルールが作られています。
社会生活・夫婦間・子どもと親・カップル・上司と部下
何かしらの関係があると自然と「ルール」がつくられることが多いですね。
上司と部下のルールで「仕事に進展があればすぐに報告。」とルールを決めたとしましょう。
しかし、上司の忙しそうな姿を見て「後で報告しよう。」と気を使い
落ち着いたのを見計らって報告に行きました。
上司:「すぐに報告して!って決まり事だよね。なんで遅くなったの?」
部下:「すみません。忙しそうだったので、後にした方が良いかな。と思いました。」
上司:「そんな言い訳いらないから。ルールは守ろうよ。忙しそうでも話しかけてよ。」
こんなやりとりがあったとします。
上司は、ルールに沿った正しいことを言っています。
しかし、部下はどうでしょうか?「不満」が溜まりそうですね。
「それがルールだよね」と言われたら、それまでなのですが
それで信頼関係は、築けないのではないでしょうか?
部下からしたら「忙しそうだから、気を使ったのに・・・」と心で
思っているかもしれませんね。
「決まりを守らなかった、アイツが悪い!」仰る通りかもしれません。
しかし、ルールを破らざる得なかった背景が目の前の方にもあるのです。
そんな背景を「言い訳だろ!」と言われたら、ネガティブな感情を持ち
コミュニケーションを取りたいとは、思わなくなってしまいます。
言葉以外の影響
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これは、私の体験です。
中学生の頃の体育祭。リレーの選手に選ばれました。
しかし、練習中に腸骨あたりに痛みを感じて、時間とともに痛みが増していきました。
我慢していた私の責任なのですが
何日目かの練習で走ることが出来なくなるほどの痛みに襲われ病院へ行ったのです。
大きな怪我ではありませんでした。
しかし、体育祭自体を見学する羽目になってしまったのです。
「この状態だとしばらく走れないね。」「もう少し、早く診察に来てればね。」
冷静に淡々とした声、そして、目線を合わせてもらえず診察が終わりました。
もちろん、先生の言っていることは正しいですし、責める気持ちもありません。
ただ、「この先生、なんもわかってくれないな。」と悲しくなったのを思い出します(苦笑)
話の内容だけではなくて、私たちは話し手の態度からも感情的な影響を受けます。
勝ち誇った顔(いわゆるドヤ顔)で、「俺が言ったこと、なんか間違っている?」とか言われると
間違ってなくても「あんたとは、話したくない」と思ってしまうわけですね(笑)
言葉も大切ですが、態度も重要です。
良い部分に目を向けよう
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私たち人間は、ネガティブな一面を見つけるのが得意です。
人の過ちが見つかると、注目したくなるものです。
正論を振りかざしてしまう人は、間違った部分に目が向く。
コミュ力が高い人は、強みや背景に目が向くのです。
最初の方に書いた、上司と部下の会話。
上司「○○君、仕事の報告に関してなんだけど・・・
もしかして、忙しそうにしてたから話し辛かった?」と言葉がけもできるし
顔色伺ってるなと感じ取ったら、上司の方から
「○○君、仕事の進捗教えてくれる?」とコミュニケーションを取ることもできます。
正論とコミュ力は別物です。
正義の剣を振るって傷つけても、感謝はされません。
そして、感謝のない関りは継続しません。
口で言い負かしても一時的な優越感で終わり、誰かをまた傷つけてしまいます。
理論的になりすぎると、気持ちを汲むことが出来ず、相手が傷ついていることにさえ
気が付かなくなってしまいます。
どんな人間関係を作りたいのか?長期的な視点で考えてみましょう。
そうすれば、求められる関わり方に気づけるはずです。