ストレスで『内向きになってしまう』 vs 『明日を切り開く』
投稿日:2025年7月17日 / 最終更新日:2025年7月16日
ストレスは学びの宝庫とは知っていても、少し時間がかかる。
仲間からの一言。
「1年に1回ぐらいは、会いましょうよ……」
要望。
依頼。
何度か私に問いかけてくれた。
それなのに、
私は間違っていた。
本当に大切なことは何か?
気づくまで3年かかった。
俺は、なんて大バカなのか?
大切な仲間からの要望。
「みんなと会いたいですねぇ……」
「1年に1回ぐらいは、会いましょうよ……」
「実際に会うんだったら、参加します……」
それなのに、私の勝手な認識。
オンラインで学べる時代。
「会う必要があるのか?」
「情報提供であれば、オンラインで十分では?」
「成功事例、失敗事例、その提供なら対面で会わなくてもいいのでは?」
自分勝手な私は、必要性が感じられなかった。
そして、仲間たちと会わない言い訳ばかり考えていた。
「対面で会うのは交通費がかかるし……」
「会場に来るまでの時間がもったいないのでは……」
「またパンデミックになったら、どうするのか……」
つける薬がない。
そんな私。
どうやって、言い訳をやめたのか?
どうやって、機会に変えたのか?
ストレスを『やらない言い訳』にするのか。それとも、機会と考えるのか。
理知を使う。
まず、知性。
知性とは事象を再定義すること。
「1年に1回ぐらいは、会いましょうよ……」が事象。
再定義は、
4つの問いかけで自問自答する。
「何を学んでいるのか」
「在るべき姿は何か」
「求められていることは何か」
「どんな可能性があるのか」
この4つの問いかけをするだけで、
ストレスと誤解していた事象の意味が変わる。
そして、理性を使う。
理性とは、事象、そのものを問い直す。
「1年に1回ぐらいは、会いましょうよ……」とは何か?
「1年に1回ぐらいは、会いましょうよ……」という事象が存在する価値は何か?
この二つの問い。
????????????
こんな感じになるでしょう。
それでも、理性の問いはやってみると善い。
見える世界が変わる。
それは、生きる世界が変わること。
もちろん、ストレス・試練がチャンスに変わること。
素直さに欠ける私は、
教えてもらったことを実践するまで時間がかかった。
やってみてほしい。
理性を使って見てください。
本当がわかるよ。
悩むことが無くなるよ。
私は理知を使ってわかった。
仲間が、仲間を尊重する姿勢。
仲間が、自分に可能性を伝えていること。
仲間が、新しい道を開こうとしていること。
理性を使うと、
「あぁっ!そういうことか……」が起こる。
それを先人たちは啓示と言った。
やはり、
啓示を妨げているのは、
事象に対する自分の勝手な認識だ。
そういうこと。
事象そのものの認識を変えるよりも、
自分の認識の仕方そのものを疑うと善い。
仲間よ。
仲間よ。
ありがとう。
いつも。