人間関係・対人関係の原因が分かれば、悩むことはなくなる
投稿日:2026年1月26日 / 最終更新日:2026年1月26日
複数の人間が集まると、共同体が生まれる。
その共同体は、別名「社会」と呼ばれる。
たとえば、職場。
その共同体の内部には、必然的に関係が生じる。
上下関係、師弟関係、利害関係、そして、それにまつわる感情の関係。
そうした関係のただ中で、ふと「自分とは何か」「これでいいのか」と、我を問う瞬間が訪れる。
そのとき、人間関係や対人関係の問題は、避けられないものとなる。そこで起きているのは、「自分とは何か」を規定しようとすることによって生じる、自分と共同体との乖離である。
人間にできるのは、現実に存在する人間、現実に存在する個人が、その置かれた現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけなんだ。
こんなことを分かりやすく教えてくれる池田晶子さんの文章は、まさに日常生活に役立つ生きる哲学である。(『14歳の君へ』 池田晶子著、毎日新聞社)
「評価されない……」で悩む必要はない
「正当に評価してほしい……」
「なぜ、評価されないのだろう……」
「期待に応えた仕事しているのに……」
他人の中に、自分が存在するはずがない。他人が評価するのは、その本人の能力に過ぎない。そして、評価される能力は、上司が期待する能力であって、ご自身の強みが活かされた仕事でない場合が多い。だから、会社や上司が求める条件で、能力が評価されなくても、まったく悩む必要などない。
解決できない問題は悩まない
冷静に考えてみれば、分かるはずだ。職場で働く上司にとって、部下は熱烈な恋の相手ではない。
上司の中に、他人である部下が恋人のように存在するはずがない。どう考えても、上司から評価されるのは結果である。プロセス評価が重視されるとしても、それは結果に繋がる道程に限られる。
長い人生、自分を理解することが最高の評価
大切なのは、自分で自分を評価する生き方だ。人生は誰もがはじめて、上手く生きることはできないはずだ。完璧である必要などないし、完璧にできるはずがない。上手くいかなくて当然である。だけれど、その時にやれることがある。
私たちが一人となった時、できることは、現実に存在する他人、現実に存在する自分自身が、その置かれたその現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけだ。「みんなにとって善いことは何か」を問うことだ。
他人の中に自分の存在を認めてもらおうとすることなど、期待しない方がいい。それは、無理なことである。自分だけでは生きられない、私たちは何がしらの共同体に関わらずを得ない。その中で、自分ではじめての人生を、丁寧に生きていくしかないのである。





















