美しいものは美しい
投稿日:2026年3月20日 / 最終更新日:2026年3月20日
美しく生きようとする姿こそが、
美しい。
蕾のまま散ってしまっても、
それもまた、人生であり、個性化のひとつなのだろう。
先に時熟した老木は、
若木に「大きなお世話」と疎まれながらも、
その内に秘めた絢(あや)を、
惜しまずにはいられない。
出会いがある。
見るに見かねた祖母からの依頼なのだろうか。
お気に入りのブランドものの靴は、
ディズニーランドを歩くためのものでも、
饗宴の席での身だしなみにも似合わない。
自らの美しさに気づいたとき、
その偽の輝きは、ほこりのように、かえって隠されてしまうのかもしれない。
高い理知もまた、時として歪み、
自分を飾ろうとしてしまう。
学生の頃、どれほど頭脳が明晰であったとしても、
それは人生にとっては、茫漠の一隅にすぎない。
少し先を時熟して生きる者として、
自尊心とぎりぎりのところで生きるその姿に、
どのように関わることができるのかと、考えてみる。
なるほど、
若いほど、
要諦であるその「ありのままの美しさ」を、
自らの蒙昧が見えなくしてしまう。
「自分を愛したらどうか」と叫んでも、
やはり機が熟すまでは実らないのだろう。
それでも、
その種を蒔かなければ、咲くこともない。
我も美しく生きたい。
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