魂に響く言葉
投稿日:2026年1月17日 / 最終更新日:2026年1月17日
批判の言葉が続く。
保身か?
視聴率稼ぎか?
19日に日本の総理大臣が記者会見をするのであれば、それを聞いてみればいい。本人の言葉を聞く前に、予測してあれこれ言うのは、何をしたことになるのか。一国の総理大臣が何かを宣言するのだ。それ相当の覚悟があるのだろう。それに比べて、覚悟に欠ける言葉のオンパレード。
政治に関心はない。自民党員でもない。だけれど、高市総理の言葉に関心がある。
「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて参ります」
そのときの、あの目を見た。魂のレベルが違う。
高市総理は、
国民への貢献を考えているはずだ。
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党利党略、
私利私欲、
そういうレベルの魂じゃねえべ。今度の月曜日が楽しみ。どんな命の言葉が紡がれるのか。
ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケー(対話・対立・緊張を通して、より深い真理に近づこうとする思考のしかた)の技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をも助けるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬまま枯れてしまうこともなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新たなる言葉が新たなる心の中に生まれ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。
『パイドロス』(岩波文庫・藤沢令夫訳)
ディアレクティケーが起こる。ディアレクティケーとは、矛盾や対立を、排除すべき欠陥ではなく、
真理へ向かう「動力」として生きる思考。高市総理の魂の言葉が、私たちの魂にふれて、真善美を呼び起こすに違いない。
魂にふれると、感動する。それが、真善美レベルの言葉だったかどうかの基準になる。



















