夫婦のコミュニケーション【60代版】。「毎日、同じことばっかり……」
投稿日:2025年6月25日 / 最終更新日:2025年6月24日
夫婦のコミュニケーション講座。参加動機No.1は「パートナーがわからない」
参加目的を尋ねます。
「どんなきっかけで参加されたの?」
すると、
「とにかく参加してこいと言われた……」
「パートナーから最後通告を突きつけられた……」
「もう、どうしていいのかわからない……」
そう。
参加するテーマは一つ。
相手が「わからない」。
わかったつもりでいた。
それでいいと思っていた。
あーぁ、多分ペケなんですよ。
生半可じゃ、パートナーを理解することは難しい。
私がお世話になっている68歳の主婦に尋ねた。
「ご主人と仲がいいんでしょ?」
すると堰を切ったように、
「定年してから、ゴルフのことばっかり……」
「いろいろあったから、自由にさせてあげたい……」
「だって、私がどこかに行くとき、文句言われないで済むでしょ……」
仲がいいのか?
悪いのか?
とにかく、話題は旦那様への不満が多い。
とにかく平和だな。
このレベルでは、夫婦のコミュニケーション講座に申し込みはしない。
愛が使えない夫婦がやってくる。
愛とは何ぞや?
無償の愛か?
それはそれでいい。
それでは、
具体的に夫婦の間の無償の愛とは何か?
2週間に一度、2週間分の買い物をする夫婦がいる。
夫は、浮気や不倫をした経験がない。
奥様のことしか知らない。
風俗にも、
キャバクラにもいかない。
奥様オンリー。
彼に尋ねた。
「なぜ、そんなに奥様を大切にできるの?」
すると彼は笑顔で、
「僕よりずっと、彼女は大変な思いをしていますから……」
愛とは、これだ。
わかろうとする意志。
その努力。
その努力の積み重ねが愛の結晶だ。
努力は美しく収斂する。
愛のない人は、
すれ違いから自分を主張する。
誰もが、反射的にそうする。
人間の原始的な反応だ。
そして、自己都合の意見を並べる。
だけど、愛のある人は、
常に相手を理解しようと努力している。
だから、
日常の当たり前に気づく。
たとえば、
奥様が買い物に行くと、
どれだけ重い荷物を苦労して運んでいるのかを知る。
たとえば、
奥様が仕事をしていれば、
彼女たちの多くが仕事をしっかり済ませた後の、
家事のこと、
それからの“いろいろ”を同時に考えていることを知る。
奥様達の精神は、なかなか休まらない。
愛のある人は、
当たり前の日常に気づき、
感謝を言葉や行動で示せるんだ。
こっちだって、頑張ってるんだ!
そうだよ。
みんな頑張ってるんだよ。
パートナーに喜んでもらいたくて、
子どもがいれば、
彼らを笑顔にするために、
お互い頑張ってるんだよ。
だから、
「こっちも、頑張ってるんだ!」なんて、
言わない方がいいんだ。
だって、自分がそれをやりたくて選択してるんじゃないか。
すれ違いこそチャンス。
誰かのために自分が頑張っている。
自分が選んで頑張っている。
それは間違いなさそうでしょう。
それでもストレスが起きると、
自己中心的に考えるようになっちゃう。
そして、
すれ違う。
だけど、
その相違、
行き違い、
すれ違い、
ぶつかり合いこそが、
相手をより理解する機会なんだ。
「わかり合える」チャンスなんだ。
愛に欠ける人は、
相違が起きる原因を、
自分ではわかっていると思っている。
そういうパートナーだとしたら、
本当に厄介だ。
自分を正当化して、
最初から、相手をわかる気がないからだ。
そんな相手をわかる気がない者が、
相手から「最後」を突きつけられる。
そうして、夫婦のコミュニケーション講座に参加する方が多い。
無償の愛とは、
相手をとことん「わかろう」とする姿勢だ。
他人同士が暮らし始める。
分かり合えないことの連続じゃないか。
不思議。
驚き。
すれ違いの連続じゃないか。
そんな唯一の存在を、
観照するのは楽しいことじゃないだろうか。
パートナーに対して、
ご自身の接し方は正しいですか?
美しいですか?
相手を輝かせていますか?
相手との一緒の時間は、
ご自身の魂を育てましたか?
いつかは最後になる、
パートナーにかける言葉。
そのいつかは、
必ず、
今にしか起こらないのです。
だって、
今しか生きられないんだから。