『医者の心得』を読んで……。「死」というものが存在しないのなら、なぜ医者は患者の命を救うのか。
投稿日:2025年9月22日 / 最終更新日:2025年9月22日
これまでどれだけ未熟なことを思い知らされ、
それ以上に励まされ、
勇気をもらったことだろうか?
彼女の本に吸い込まれるたびに、
出会えたことの恩寵を覚える。
ありがとう。
死というものが存在しないなら……
池田晶子さんの「知ることより考えること」(新潮社)。
この著作は、
日常の出来事をテーマにしながら、
深く生きるヒントが味わい深く記されている。
その中の『医者の心得』を読んで引用します。
17歳の少女から手紙がきたと紹介されていた。
「深い疑問にぶつかってしまった。というのは、
私は医者になろうと思っていたのだが、
本にあるように『死』というものが存在しないのなら、
なぜ医者は患者の命を救うのか。
私は苦しんでいる人を救ってあげたいと思う。
しかし死がないのなら、それは何のためなのか。
『医者は何のために医者なのですか』」
こんなお医者さんが、立派なお医者さんになるんだろうなぁ!
医者が患者の命を救えないことはあるけど、医者はそれを超える
「お母さんが、こんなに弱っていることに気づいてあげられたら、
苦しませなくて済んだんです。」
母が息を引き取ったときの医者の一言。
それは、残された家族に、
「母は、最高の医者に最後を委ねられた。
母は、死ぬときも幸せだった。」と思わせてくれた。
心筋梗塞。
緊急入院。
緊急手術。
その後、
2回のバイパス手術。
奇跡的な回復で、母は退院した。
病院からの家路。
家の近くまで来たとき、
「家に帰ってきた……」の喜びで、
涙があふれ出たそうである。
85歳を過ぎて入院したら、
二度と家には帰れないという考えを持っていたらしい。
家に帰ってくる母を、どれだけ待ち望んでいたことか!
亡くなる直前は、驚くほど元気になる。
そんなことを知ったのは、亡くなった後。
亡くなる日の夕飯後。
母は「おやすみ」と言いながら、飛び跳ねるように寝室に向かった。
2時間後には突然発作。
救急隊員が6名で来てくれた。
緊急搬送された先は、
偶然にも三日前に退院してきた大学附属病院。
ちょっと、一安心。
付き添い。
日を跨いで、午前1時過ぎに戻った妻も、
どうにか落ち着いたみたい。
そして、三日後。
「母危篤。すぐ病院へ」のLINE。
コロナ禍の中、担当医はICUに入れてくれた。
その時気づけなかったけれど、
母との最後だとしても、
ICUに入れてもらえるって……
命より大切なことを教えてくれた医師
呼びかけても、
呼びかけても、
母が意識を取り戻すことはなかった。
そして、心の中で思った。
「オフクロ、もういいかな……
じゅうぶんに生きた……
立派な人生だったね……
本当に、
本当に、
オフクロの子でよかった……
もう、いいかな。」
医師が、
「もういいんですか……」
最後のお別れをして、
母の亡骸と一緒に病院を出る時。
医師が、
「お母さんが、こんなに弱っていることに気づいてあげられたら、
苦しませなくて済んだんです。」
私たち家族は、「ありがとう」を告げた。
医師に責任があるとは思えなかった。
医師の真摯な姿勢は、
母との今生の別れを感謝に変えた。
「オフクロ。いいお医者さんに診てもらえてよかったね」
一緒に聞いていた母は、
「んだよ」と頷いていたに決まっている。
医師の仕事とは、医師は、患者の命を救うことができるのか
患者の命を救う手助けはできるだろう。
だけれど、
あくまで自分の命を救えるのは患者、本人ではないのか?
それでは、医師の仕事は患者の命を救うことではないのか?
わからない。
だけれど、母の最期を見守ってくれた医師は、
私たちに、命を助ける貴さを教えてくれた。
「こんなに弱っていることに気づいてあげられたら……」。
この医師の寂寥とした言葉から、
命を救うという使命を選んだ人生の深みがにじみ出ていた。
それが、本物の医者なのではないだろうか?
患者が、もっと生きようとする意欲。
患者が、命をまっとうする瞬間の諦念。
それに最後まで寄り添える存在。
私たち家族は、そんな若き医者と出会えた。
母のおかげだ。
そうそう。
あっちの母から。
「先生。おせわになりました!」
ということです。