「神様みたい……」と感じるのは、私のうちに神様がいるから……
投稿日:2025年12月29日 / 最終更新日:2025年12月29日
昨日は不思議な日だった。
駐車スペースがなくて困っている方に、車を止める場所を案内した。こんなことは今まで、自らの善意でやったことがありません。(笑)
「うまく案内できなくてすみません」と声をかけると、なぜか「コミュニケーションを勉強してみたいんです」との世間話に……。「あらっ、どうされたの?」と尋ねてみると、「命の伝言ダイヤルにかけても繋がらない。何度も電話したんだけれど、繋がらない……」。これは、緊急だ……。
事情は聞かない。
けれど、悩まなくなる方法だけを伝えた。「心のモヤモヤが晴れて、スッキリしました。」「なんか神様みたいですね」と言うので、「そうです。神様です」と言った。いつものパターンで、不思議そうな顔をされていた。
少し打ち解けられたのか、その後、三人のお子さんの話を聞かせてもらった。だから、絶対的幸福になれる「愉悦」のやり方を伝えた。すると、「やはり神様みたい」と言われた。だから、「神様です」と言った。笑いながら、不思議そうな顔をしていた。
帰り際、彼女は「何度も、命の伝言ダイヤルにかけても繋がらなかった。何度も何度も、かけた。でも、もうかけなくていいんだ。ありがとう」と言って帰って行った。
そのお母さんには、自分が神様だということは伝わらなかった。自分の中に神様がいなければ、どうやってそれを感じることができるのだろう。神様の存在を味わったことがあるから、何かが起きた時に、神を感じることができるのではないのか。私が神様なのではない、お母さんの中に在る神様の要素が、それを感じ取ったのだ。あのお母さんは年内に、「私の中にある神」に気づけるだろうか。
信じる神ではダメなんだ。あるかどうかわからない神様ではなく、絶対的に存在する神を、自分の中に見つけて自覚するんだ。
私の中の神が見つかれば強く生きられる
数日前、すし屋で某首長と二人で飲んでいた。「私という神様のことを知ってる?」と尋ねた。すると彼は、「あの時、お前と言った京都で発見したよ、神様って自分のことなんだ」。これこれ。神様は、外側にはない。人間は弱い生き物だから、外に神様という概念をもって頼りにしながら生きようとする。だけれど、自分の努力以外で、何かを成し遂げることなんて出来ないじゃないか。
彼は努力した。ある首長なのに、「休みなく仕事をしているけれど、毎日楽しいなぁ!」という。毎日仕事に明け暮れるのは、同じだ。誰かに役に立ちたくて、仕事をするって楽しくてやめられない。
九十年続く家業を妻が継いだ。そのお店に友人が来てくれた。「年内はいつまでですか?」って、二十年前に知り合った時から同じ。「三十一日までだよ」、彼は「休まないの?」。
「多分、正月は二日から……」、「じゃ晦日と二日に来るね」って、だから休めないでしょ!
お客様の喜びが仕事であるなら、仕事って何でもいいよね。あのお母さんとの出会いも、そんな仕事のお手伝いからのご縁でした。
私が神を感じられるということは、私の中に神がいると確信するチャンス。もし、それを自覚することが出来たら、努力を惜しまず、カッコウ良く生きられるのではないか。



















