「自己肯定感」で悩まない方が賢い理由。
投稿日:2025年12月1日 / 最終更新日:2025年12月1日
存在しない『自己肯定感』で悩む遠回り
もし、『年が若返る感』という概念があったとしましょう。
そして、ある人が「私は『年が若返る感』が低くて…どうしたらいいんでしょう」と真剣に悩んでいたとしたら、どんなアドバイスをしますか?
きっと、「そんなものは存在しないから、大丈夫だよ」と言うのではないでしょうか。
お察しの通りです。『年が若返る感』と同様に、一般的に使われている『自己肯定感』という概念は、いつの間にか誕生してしまっていた怪しい存在です。
よく考えてみてください。存在しないもの(自己肯定感)がないと悩むのは、むしろ正常な思考です。逆に、無いもの(『自己肯定感』)を「ある」と信じ込んでいる人の方が、どこか可笑しく思えませんか?
この世に存在しないものを巡って悩み、時間を費やすのは、非常にもったいないことです。
なぜ、『自己肯定感』という言葉が生まれたのか?
『自己肯定感』という抽象概念(物理的な形や実体を持たない「見えないもの」)は、特定の誰かがゼロから提唱した単一の理論ではありません。
これは、心理学の歴史の中で発達してきた複数の異なる概念が、社会的なニーズに応じて寄せ集められ、一般化されたものです。
その寄せ集められた主要な要素は以下の通りです。
- ウィリアム・ジェームズの自尊感情:自己の価値や能力に対する全般的な評価
- カール・ロジャーズの自己受容:自分の短所や欠点を含め、ありのままの自分を認めること
- アルバート・バンデューラの自己効力感:特定の状況で目標を達成できると信じる力
- エリク・H・エリクソンの基本的な信頼:世界や他者に対する安心感
これらが無理に統合され、“一見万能そうな”『自己肯定感』という概念が構成されてしまったのです。
だとしたら、一体、何を基準にして「『自己肯定感』が低い」と言えるのでしょうか?
また、何をトレーニングすれば『自己肯定感』が高まるのでしょうか?
曖昧すぎると感じませんか?
存在しない『自己肯定感』ではなく「尊厳」を
本当に大切にすべきは、尊厳です。
自分の尊厳を大切にする。そして、まわりの人の尊厳も大事にする。
なぜならば、生きている上で一番大事なのは、一人ひとりが懸命に生きているという事実だからです。ときどき息切れしたり、やる気をなくしたり、自分を見失うことがあっても、それは人間として当然のこと。
大切なのは、尊厳を大切にすること。それは、お金や一時的な快楽に惑わされないで生ききるということ。先人たちが、お金や快楽に溺れず、正しく生きることこそが尊厳を守る道だと教えてくれています。お酒や美味しいもの。娯楽という快楽を一切やめることができなくても、自分とまわりの尊厳を尊重する生き方こそが、『自己肯定感』という得体の知れない言葉の正体なのでしょう。
もしそれができたなら、仕事のミスや、ある能力が他人より低いからといって、自分を責める必要はありません。自分の存在価値を疑い、「自己肯定感が低い」と悩む必要などないのです。
「誰もが人間は不完全だ」と慰めるつもりはありません。それは事実だからです。不完全だと自覚するなら、『自己肯定感』が低いと悩む無駄な時間を止めて、ゆっくり休んで読書でもする方が、よほど有意義ではありませんか。
よくわからない『自己肯定感』に囚われている時間が、何よりも無駄なのです。
なぜ、『自己肯定感』が注目されるのか?
ある講座で「『自己肯定感』なんて無いんだから悩まない方がいいよ」と伝えたことがあります。すると、ある参加者が「何を言っているのかわかりません。早口過ぎて……、もう一度お願いします」と言いました。
彼女は数年前から「『自己肯定感』をどうしたらいいんでしょう」と深刻に悩み続けてきた人でした。そんな方が、「『自己肯定感』なんて無い」と伝えたら驚きますね。
人は生活の中で、「自己肯定感」という言葉を学習し、それを“存在するもの”だと信じ込んでしまう。ある特定の集団が注目すると、それを在ると信じて、自分で自分を評価してしまう。なんと怖ろしいことか。
なぜ、『自己肯定感』という無いものが存在し続けるのか?
それは、それでビジネスとしてお金が儲けられる人がいるからです。旨味がある人たちがいるからこそ、この言葉はこれからも生き続けます。
もし「自己肯定感」という無いものでビジネスを展開する機会に出会えれば、その人たちの価値が分かるというものです。
大切なのは尊厳。
在るものと無いものの区別をつけながら生きていきたいものですが、それは難しい。なぜなら、AIに『自己肯定感』とはと問うと、もっともらしく回答が返ってくるからです。
AIも『自己肯定感』という言葉があった方が、その存在価値が高まるようです。


















