生きる力を育む
投稿日:2025年10月10日 / 最終更新日:2025年10月13日
寒くなった。
自分で羽織ればいい。
生きる力とは、羽織ることではない。
羽織る意志でもない。
その一つは、羽織るものが体を温めてくれる力に気づくことではないか。
何も語らない『羽織られるもの』から、何かを感じ取れる力ではないか。その力があれば、見せてくれないもの、音を立てないもの、触れられないものから、あふれる愛を受け取れるようになるのではないか。
十五夜だった。
幼い頃は、祖父がどこかへススキを刈りに行って、十五夜団子と飾ってくれた。ススキを飾るのには、日本の農耕文化と信仰心に深く根ざした複数の意味や由来があるそうです。それは、単なる秋の飾り物ではなく、豊作への祈りと魔除けの力を持つ重要な供え物で、3つの理由があったといいます。
1、稲穂(いなほ)の代用品としての意味。
その年に収穫される『秋の恵み』に感謝する祭りとしての性格がある。本来は農耕文化においてお供えしたかったのは、豊作の象徴である稲穂でした。そう考えると、ススキで代用したのは、それほど米に価値があったということなのか。
2、神様の「依り代(よりしろ)」としての意味。
古来より、ススキは神様と人間界をつなぐ役割を果たすと考えられてきました。神が宿る場所とされた背の高いススキは、月の神様が地上に降りてくる際の「依り代(神様が宿るもの)」だと信じられていました。ススキの茎の内部が空洞になっているため、そこに神様が宿ると考えられていた説もあるようです。ススキを飾ることで、月の神様をお迎えし、豊作や幸福を願うという意味合いがあります。
3、邪気や災いを遠ざける「魔除け」の力。
ススキの鋭い形状は、魔除けの力を持つと信じられていました。ススキの葉や切り口が鋭利であることから、悪霊や災いを遠ざける魔除けの力があると考えられてきました。
ススキは、豊かな実りへの感謝と願いを月に伝え、さらに家庭や田畑を災いから守るという、二重の意味を持つ大切な供え物なのです。
農家でなかったわが家。祖父はどんな想いで、毎年、野原までススキを刈りに行ったのか。
家族への「魔除け」として、深い愛を表現してくれていたに違いない。すると、祖父は、ススキで神様と人間界をつないだ、神の使いだ。思い出すたび、喜びと感謝にむせぶのは、そのせいか。
神のように人と接する、これも生きる力ではないか。
塩水を飲む
足がむくみ、食欲が失せ、生きる気力をなくした父。
めずらしく病院へ連れて行ってほしいと言った。病院も薬も大嫌いな家系。重篤な状態だった。医師に状態を告げると、生活指導を受けた。塩分を控えるようにと。
猛暑が続いた夏だった。元気で、年中無休で働く父。彼ほどワークライフバランスが不要な男を知らない。独自の熱中症対策で、寝る前に塩水を用意して飲み干していた父。それを止めて、一か月がたった。89歳。これまでで一番調子がいいという。あれほど『塩水をやめたら』と忠告しても聞かなかったのに、医師の一言で変わった。笑うしかない。
この正しい知恵も生きる力ではないか。
常識と信じて正しいと勘違いしていることを社会通念という。常識と社会通念は、似ていてまったく違う。生きる力とは、正しいと信じて疑わない社会通念を正し、みんなにとって正しい常識を知ることだ。
ところが、信じていることを疑う者は少ない。自分が意識すらしていない、間違った社会通念の中を生きている。そうなんだ。気づかないから、変われないんだ。