「言った方がいいのか?」「言わない方がいいか?」──それは、『言わない方がいい!』
投稿日:2025年6月24日 / 最終更新日:2025年6月23日
わからない人には、わからない。
会社に行く。
あたりまえに、朝。
「おはよう」と声をかける。
すると、
丁寧に「おはよう」と返してくれる人。
机に向かったまま、振り返りもしないで「おはよう」と言う人。
無視されちゃう人。
もちろん。
こちらからの「おはよう」の前に、
元気に「おはよう」を言ってくれる人もいる。
どれが気持ちいいか?
そんなの明確じゃん。
みんな分かってるさ。
忙しくて「おはよう」がおざなりになってしまう人。
しょげた声の「おはよう」に、
思い通りにならない出来事があったこと。
大声で叫びたくなるよね。
「おはようぐらい、元気に交換しようよ!」
すると、
元気な「おはよう」の交換が、
数日は続くかもしれない。
そして、多分、戻っちゃう。
「おはよう」に、そんなに気配りをしてはいられない。
そう。
それって、
そういうことなんだ。
自分のことで、精一杯。
毎日の「おはよう」が、
いつか、
おざなりになっている。
そん時、
もう一度、
大声で叫ぶか?
「おはようぐらい、元気に交換しようよ!」
繰り返し、
注意喚起するのもいいかも知れない。
習慣になるまで、
それを繰り返すことを由とする者もいる。
だけどね。
それは、自分で自分にすることだ。
多くの者たちはわかってるんだ。
「おはよう」をちゃんとしなければならないと、
わかってるんだ。
でも、それをしない。
それって、どういうこと?
それは、自分中心の生き方が、
その人の生き方だってことだよ。
たった、それだけだよ。
まだ、
「『おはよう』をちゃんとしたい!」という倫理になっていないんだ。
「『おはよう』をちゃんとしなければならない」という道徳レベルなんだ。
でも、社会的なルールでの「おはよう」だ。
それって、
評価されないじゃん。
どんなに仕事ができたとしても、
その仕事自体が自己中心的なものだって、
見透かされちゃうじゃん。
ガァツン!と堪えた。ある女性の仕事ぶり
真似できないよ。
真摯さ。
挨拶は、もちろんだけれど。
短所もあるよ。
でも、それをかき消してしまう。
彼女の真摯な態度。
彼女に尋ねたことがある。
「なぜ、それほどまで真摯に仕事ができるの?」
すると、彼女はかっこいい返事を返してくれた。
「私は、
常に理想と現実のギャップをなくそうと生きている」
その言葉を聞いた時、
よくわからなかった。
40年以上前、
職場の先輩から私が、
「おはようぐらい、元気に交換しようよ!」と言われて時と同じ。
彼女の「常に理想と現実のギャップをなくそうと生きている」
この言葉の意味がわからなかった。
しばらくしてから、
ようやくわかったよ。
彼女は、
常にみんなのことを考えて生きていた。
言葉の美しい意味がわかった。
わかろうとしない人にはわからない。
「言った方がいいのか?」
「言わない方がいいのか?」
それは、
『言わない方がいい!』
当時の真摯な彼女は、
私の仕事を見てアドバイス?
忠告?
クレーム?
言いたかったろうな。
でも、彼女は私の仕事ぶりに、
何も言わなかった。
私のだらしない、
いい加減で、
中途半端なやり方。
それに、
いつも優しかった。
何度も、怒鳴りたかったに違いない。
それなのに彼女は、
「常に理想と現実のギャップをなくそうと生きている」という言葉を投げてくれた。
私が受け取れないことを知っていただろう。
こんな私にも、彼女は真摯だった。
私が尋ねる前に、
それを彼女から言われていたら、
受け取れなかったかもしれない。
「言った方がいいのか?」
「言わない方がいいのか?」
それは、
『言わない方がいい!』
違いを知りたい。
本当に知りたい。
そんな意志がないものに、
何を言っても、
はじき返されるだけだ。
ひどい抵抗に合うだけだ。
よい経験を思い出せた。
わからない人には、何を言ってもわからない。