「気づかない自由」と「わからないままでいる自由」
投稿日:2025年12月25日 / 最終更新日:2025年12月24日
「気づいてほしい……」
「わかってほしい……」
「まわりを見てほしい……」
「ていねいに向き合ってほしい……」
「みんなのことを考えてほしい……」
迷惑を受けるのが自分だけなら、言わなくてもいいのだろう。けれど、パワハラやセクハラの対象が仲間だったら、当人たちに言いたくなってしまう。
会社で「5分間」話す時間をいただいたという。すると、「俺がパワハラしているってこと……」「まるで俺たちが悪いみたいじゃない……」と非難されたそうだ。彼女は、周囲に配慮した言葉を使ってほしいと要望しただけなのに……。
一人きりではなく、組織で働くということ。あるいは、一人で働いていたとしても、誰かと関わらなければ成果にはならないということ。そこに、圧力や強制をまったく感じなくなることは、ないのだろう。
忍耐強い彼女は、自分への否定的な影響を訴えたかったのではない。仕事を通して貢献する仲間として、周囲への配慮を考えてほしかったのだ。
自由
私たちには、自由がある。
「気づかないでいる自由を、奪ってはならない」
「わからないままでいる自由を、奪ってはならない」
「自分に責任がないと信じている自由を、奪ってはならない」
「俺がパワハラしているってこと……」と反論した者は、すでに自分がそうしていることに気づいている。気づいていなければ、「パワハラしている」という言葉が出てくるはずがない。
そして、「まるで俺たちが悪いみたいじゃない……」と言った者も、自分が悪いことをしていると、どこかでは気づいている。けれど、気づきたくないのだ。どちらも、自分の態度が原因であることに向き合わなければならないからである。
組織で働くとは、そういう人たちと一緒に働くということだ。もちろん、私自身も、嫌味たっぷりな組織をつくる一因であることを自覚している。ただし、自覚しているからこそ、常に謝る姿勢をもって仕事をしている。つい余計なことを言ったり、態度に出てしまうからだ。
お腹が空いたよ
腹が減れば、人は気づく。小さな赤子を育てる母なら、赤子の泣き声からそれを感じ取り、母乳を与える。子どもが話せるようになれば、「お腹、空いた」と言うようになる。
では、大人になってデートをするとき、恋する女性の空腹をどうやって知るのだろうか。いちいち聞くのか。それも、いいのかもしれない。けれど、はじめてのデートで「お腹、空いた?」と聞いて、「ペコペコ」と無邪気に答えてくれる女性は、そう多くはないだろう。
自分のことだけでなく、注意を周囲に向けて配慮し、全体を考えながら、より善くしようとする姿勢を、愛と呼ぶのではないか。自分のしていることの影響に気づけず、勇気をもって言いづらいことを伝えてくれた周囲の意見に反発する。5分の時間をもらった彼女にとって、それはきっと良い学びになったはずだ。
わからない人にはわからない。
だからこそ、聖者は「気づかないでいる自由を、奪ってはならない」「わからないままでいる自由を、奪ってはならない」「自分に責任がないと信じている自由を、奪ってはならない」と教えてくれているのだ。
聖者の言葉から学べることは、周囲がどうであれ、自分が自分らしく生きることではないだろうか。そう生きることでみなぎる自信と、強い生き方が、周囲に何かを感じさせるのではないか。
それを、「機が熟す」と言うのだろう。
成熟とは、体のことではない。心のことでもない。魂の成熟を指すようである。


















