不完全「時代の寵児(ちょうじ)の正体」
投稿日:2026年1月17日 / 最終更新日:2026年1月16日
2000年代半ばの事件と言ってもいい。
「お金で買えないものはない」
「女だってお金で買える」
その時代を代表する若者のスターであった彼の言葉は、大きな波紋を呼んだ。日本の経済界を揺るがす力をもつ若者の品格を、先人の賢者たちは許さなかったのではないか。彼は、微妙な罪で収監された。
お金があれば、ほとんどのことが解決できる。残念ながら、今でも時代を象徴する言葉だ。似た言葉に、いい大学や会社に入れば、人生が成功する。このような社会通念がある。努力することは何がしらの成功に繋がるだろう。しかし、大学、会社が何を保証するのか。
当時の時代を代表するスターに会いに六本木まで行ったことがある。あるラジオ番組の公開収録の場だ。ワクワクしながら彼の到着を待っていると、30分遅刻してきた。そして、まわりから「遅れたことに関して一言」と問われ、スターは「遅れた俺が謝るんですか……」みたいなことを言った。静まった。その企画をした者たちの顔に泥を塗った。彼は、その場にいた者たちの信用を失った。下品(げぼん)だ。下品(げぼん)とは、悪業を重ねたり、愚かであったりする、最も救われがたい人のこと。身を引き締めた。人生の中の大きな反面教師の出来事となった。
当たりまえのこと
幼少時、お金に不自由したことがなかった。共働きの両親が、たぶん、一人っ子の私を不憫に思い、小遣いを置いておいてくれた。家は決して裕福ではなかった。生活苦ではないけれど、四畳半一間の離れのような場所に両親と一緒に暮らしていた。
まわりは農家が多く、自営業や会社員の家庭は少なかった。学校のPTAでは、毎年、1か月、1日のお小遣いの目安が決められた。小1の頃は1日30円。小6で1日100円くらいだったか。それなのに私の家は、ほぼ小銭が自由に手に入った。お金で、権威的な存在でいられた。本来、信頼されるべくは人柄、私の価値は親が自由にしてくれたお金。小学生だって、1年もしないでお金のズルさがわかる。あのスターは、幼少時、その勉強をしなかったのか。
東大を出ているから……
エリートコースを歩んだ友人を亡くした。開成、東大、弁護士。彼は自分のコミュニケーション不足を克服しようと、40代から夢中で学んだ。誰よりも熱心に学んだ。コミュ力、心理学を5年も学べば、人間関係や仕事もスムーズになっていく。同じ東大出のスターとは、まったく違う。こちらの東大卒は、謙虚。食事に行けば、割り勘。女の子と行くと、大目に払ってくれる。もちろん、お金でどうにかしようという下品さがない。
ありきたりのことだ。東大を卒業しても、お金で買えないことを学んでいなければ、人生は空疎ではないだろうか。
弁護士の彼。数年前の5月に結婚し、7月に他界してしまった。彼がコミュ力、心理学を学びに来た本当の理由。それは、裁判で弁護するお客様のヒアリングのために、役立ちたかったからだ。胸を張れる学歴、職業。だけれど、彼が一番誇れるのは、まわりに役立つために身を賭して生きたことだ。ある時は、兵庫に住む学びの友のお嬢様である女子大生に会いに行き、弁護士の仕事の魅力を数時間レクチャーした。彼の笑顔は、大きなクルクルした瞳と一緒に、いつでもよみがえる。
見極める
弁護士の彼との出会い。学び合った時間。酒を酌み交わしたとき。すべては一回性。それらの一回性は、自分が純粋な気持ちを失いそうになった時に参与してくる。大人の学び舎からの帰りは、隠れてタクシーを使う、お金に不自由しない彼だった。しかし、そういう一面は、みんなの前では見せなかった。彼は、子どものような一面があったけれど、本物だった。態度を見ればわかる。目を見ればわかる。言動で、もっと簡単にわかる。本物になりたい。
仕事を受ける条件。儲からなければやらない。その言葉を聞いたとき、スターへの信頼を失ったときと同じ律動を感じた。儲かる仕事を選んでやってきた。だけれど、儲からなければやらないという存在ではなかった。あの彼にも、何か事情があるのだろう。それでも、品格を疑われることがある。
上品(じょうひん)ではない私。日常会話は冗談ばかり。悪い言葉もたくさん使う。洋服はユニクロでワンパターンでいい。公の場に出るスーツは5年ぶりに新調。無精ひげも日常。上品(じょうひん)ではない、でも、絶対に下品(げひん)・下品(げぼん)にはならない。一人でもいいから、上品(じょうぼん)と呼ばれるように生きたい。まだまだ遠い道のりだけれど。
上品(じょうぼん)、下品(げぼん)。上品(じょうひん)、下品(げひん)。その意味がわかるということは、自分の中にすべて在るということ。だからこそ、一回性のこの生き方が、いつも問われ続けるのだろう。

















