生きる力とは、自分をわかろうとすること以外にない
投稿日:2025年10月6日 / 最終更新日:2025年10月7日
あの目は、見通していた。
働いて、働いて、働いて、働いて、働く。
ふれて揺れた。
生きる美しさ。
それは、その人本人が一番知っているのに、
知らないように、
気づかないように生きているのか。
心の奥から響かれるものを、
何かが引き出してくれる時、
見られているその美しさは、
これまでを超えて、何もなかったような秩序の始まりなのか。
ただ、流れるときのなかに。
あーぁ、そうだな
そうだったな。
生きてきたな。
いつも、いつの時も人生の晴れ舞台だったな。
混沌だったあの時でさえ、
そうじゃないときなんかあったのか。
今の人生が、今、終わったとしても、
それはそれでいいじゃないか。
台本がなかった人生を、
戸惑いながら、
あーぁ、そうだと、
誇れるときがあった。
そうじゃない時間が多かったとしても。
振り返れば魂はこたえてくれる。
真善美が見ている。
これでいいのか。
それでも、
その中に在ったじゃないか。
いつも、いつも、ヒントが在ったじゃないか。
すべては未熟だった。
そうだ。
残りが在るとすれば、ゆるし。
いつか終わる今回。
それは、素晴らしい連続だったし、
友もそう。
ウソばっかりついているチクラッポも、
そうやって生き抜いてきた。
やさしい神様に見守られながら、
枯れ木も山の賑わいじゃないか。
枯れ木となったり、桜となったり、一輪挿しとして生きているさ。
快楽、
善悪、
精一杯、やっちゃったじゃないか。
これからも、善で生きよう。
気づかないうちに、
押してもびくともしない台車を、
押し上げて生きてきた。
どんなに格好悪い日常でも、
何かを感じながら生きてきた。
生きることの意味さえ知らなかったとき、
ただ、なんとなく生きてきた。
だけれど、誰かを喜ばせたかったんだ。
それが自分だけだったら、悩んでばかりだろうし。
それが目の前の人だったら、考えることができたかもしれない。
何が人生で在るんだ。
何が生きることで在るんだ。
何が在ることで在るんだ。
教えてもらえる時がある。
響くときがある。
それが特別な瞬間だと知っているから、それを求めに行くのだろう。
その正体。
だって、どんなに遠く、離れていても、響いてわかっちゃうんだから。
うつくしく生きよう。
耳を澄まそう。
聞こえてくるじゃないか。
何も聞こえなくても。
躍動が伝わってくるじゃないか。
そばにいなくても。
誰にでも、透きとおる瞬間がある。
それって、心が現れているからだろう。
だけどね。
そう、でもね。
いいんだよ。
既に在るものに気づけたら。
一所懸命に生きたらいいんだ。
静かに始まった。
見つめられてはじまった。
何も知らずはじまった。
何かを知っていたに違いない。
だって、
純真な目。
透き通る音。
魂が揺さぶられるじゃないか。
何かを知っていたんだ。
何が何であったのだろう。
真善美を生きるものに魂がふれられる。
すべてが未熟、残りが在るとすればゆるし。