スゴイ矛盾を生きている予感。「国民のため……」って、それは自分のためでしょう!(笑)
投稿日:2025年7月28日 / 最終更新日:2025年7月27日
分からないことばかり。
個人的に政治には興味がありません。
一応、選挙には行くよ。
応援したい人がいるから。
差別用語に気づかない政治家さんたち。
不思議じゃない。
政治家が、
「国民のために……」
「政治にお金がかかるのは、国民の声を聴くために……」
「国民の生活を守るために……」
って言うけれど、国民とは「あなた自身」。
つまり、自分も含まれているはずですよね。
それとも、国民のためにと叫ぶ政治家の皆様は、
国民じゃないのかしら?
こんなことにも気づかない一部の政治家さん。
言葉を聞けば、偽物と本物の違いがわかる。
「国民のために……」とは、「自分のために……」。
「政治にお金がかかるのは、国民の声を聴くために……」とは、
「自分の声を聴いて届けるために……」。
「国民の生活を守るために……」とは、「自分の生活を守るために……」。
私には、このように聞こえてしまう。
へそ曲がりなのである。
日々、生きるのに精いっぱい。
贅沢は言わない方だと思う。
個人的な感想です。
私は、やさしい社会に生活できて、
日々、驚きと学びの連続。
己の力不足を嘆くときが続くけれど、
あゆむ力ぞと思えば、
うつくしいことばかりだ。
高級車。
外での食事。
旅行。
まったくワクワクしない。
十代なら、そんなことを思う時があった。
今の私にとって、
先人たちの本を読んでいる時間が何よりの贅沢。
社会に不満なんてない。
スーパーに行って、
物価が高くなったことぐらいは分かる。
損得でしか動かない大人たち。
そんな人たちが、子どもの見本になれるだろうか。
ある一部の大人。
お米の価格で儲けようとしている。
たぶんそんなことだろう。
でも、今までも同じじゃない。
土用の丑の日が近くなれば、ウナギの稚魚が不漁。
さんまの季節になれば、例年以上にサンマが不漁。
今年はキャベツが例年になく高い。
こんな感じ。
だけれど、
日本は平和な方じゃないのか。
子ども食堂を応援する。
わが家。
カレーをつくれば、
数日、カレーライスが続く。
そんな家庭で暮らしている。
そういうことって、
普通なんでしょう?
違うのかな?
もしかして、普通じゃないんだよね。
自分が「普通」だと思っていることは、
決して「当たり前」ではないんだよね。
友だちが子ども食堂を運営し、
頑張っている。
「子どもが3食、ご飯を食べられない。」
「外見で見分けられる洋服は安く買えるけれど、下着を買えない家族だってあるんだ。」と聞いた。
着ている下着がボロボロ。
古くなっても買えない。
そんな子どもたちがどんな気持ちで生活しているのか。
想像するだけで、
自分がいかに「知らないことばかりの中」に生きていることを思い知らされる。
そして、特別な機会でもなければ、
そんなことに注意を向けられない自分がいる。
60歳を過ぎても、人としては赤ん坊と変わらない。
分別のある人間だなんて、
とても言えたものではない。
質素に暮らします。
こんなことを宣言することなんてできないけれど、
知らないことばかりの社会で生きている自覚を持ちたい。
子どもたちに恥じないように生きたい。
※これまでがデタラメ過ぎたから(笑)
もし、自分が賢しらにしているとしたら、
それは己を見失っているとき。
わが家の畑に育つ野菜は、
長ネギしか区別がつかない知識の貧困。
せめて、自分の強みが活かせる分野で役立ちたい。
自分ごとにできない政治家の言葉に違和感を感じて……