「哀しみ」を感じながら生きる。お節介は不要……
投稿日:2025年6月18日 / 最終更新日:2025年6月18日
普遍。
「自分自身を探求して、凡てのことを自分自身から学んだ」 ヘラクレイトス
迷った。
大きなお世話なんだろうな。
みんな一所懸命に生きているから……
納得の感じ。
悩むことがない。
それはとてもいいことだ。
悩むのは時間がもったいない。
本人はそれでいいんだな。
いい勉強になった。
彼の言葉を聞くと、
苦悩に悶えているように思ってしまった。
仲間から、
「どうにかしてあげたい……」の声が届いた。
だけれど、
本人自身、
自分の言葉が、
周囲を苦しめていることに気づかなければ、
それは余計なお節介になってしまう。
人間は、
自分のことで精いっぱい。
その精一杯が、
小さな私のことなのか。
それを超えた普遍の私なのか。
それが大切なような気がする。
小さな私としての自分だけがよければ、
それでいいのではないか。
へラクレイトスの言葉。
「自分自身を探求して、凡てのことを自分自身から学んだ」
誰が自分自身から学んだのか。
そう。
自分を超える存在である大きな私と、
小さな私が学び続ける。
スタンフォード大学の心理学者 ケリー・マクゴニガル は、
『ストレスを力に変える』や『スタンフォードの自分を変える教室』などの著書の中で、
「自分を超えた目標」 の力を強調する。
『善』。
みんなにとってよいことは何か。
難しい問いだ。
今。
これまでの時間。
これから生きるであろう時間。
一人ひとりが、
一所懸命に生きている時間。
私は余計なお世話をしてしまった。
みんな生きている。
工夫しながら生きている。
余計なことをした時間が、
哀しみとなって、
ヘラクレイトスの言葉の力を借りる。
哀しみの中で……
普遍を生きる。
お節介という過ちを犯した。
自業自得から生まれた哀しみ。
味わう。
そこに、
考え、
普遍にいたる学びが芽生える。
一瞬一瞬が、
相貌を変えぬまま、
成熟していく。
意味合いを変える。
さて、
ヤオコーに買い物に行く。
食べるのは普遍。
生きるのに食べる。
飼い犬は肉。
人間は佃煮。
現実を生きる。