「80歳になる母。電話の向こうで泣いている……」、なんて声をかければいいのか……
投稿日:2025年5月29日 / 最終更新日:2025年5月29日
母親が娘に、
「80歳になっちゃたよ……」とこぼした。
正直、わからない。
言葉だけでは分からない。
80歳。
どんな意味を重ねてきたのか?
その言葉の背景を見ることができない。
それは、娘でさえ見ることはできないだろう。
わからない。
わかるはずがない。
もしかすると、
そのお母さんもわからないかもしれない。
相談された彼女もわからない。
それを相談された、
俺もわからない。
わかったのは、
わからないことばかりだということ……
お母さんの事はわからないだらけ……、
だけれど、絶対的価値で支援できる。
80歳になったお母さんは、
何かを娘にわかってほしいんだ。
それは、それでわかるじゃない?
そして、
相談された俺にもわかることがある。
相談者は、
お母さんの涙の意味に応えようとしているんだ。
自分のことを超えて、
お母さんのことを相談されたんだ。
それって、すごくない!
お母さんにかける言葉を掴む
確認できる事実。
電話口の向こうですすり泣く母。
数日たっても、
かける言葉を見失っている娘。
「なんて声をかければいいのか……」
それを言葉にするんだ。
「お母さん。かける言葉が見つからなかった……
ずっと、考えちゃった……
それでね。
結局、かける言葉が見つからなかった。
でも、私はお母さんの娘で良かった。
私も80歳になったら、娘に泣いて電話したい。
『お前たちの母親で良かった』って言いたい。
お母さん。
お母さんもそう思ってくれてる?
私たちの母親で良かったでしょう。」
伝える言葉が見つからなければ、沈黙の方がいい!
沈黙。
逆接の言葉は辛くなるかも。
ミーシャ・マイスキーの言葉。
「人は、長き歳月を歩み、
人生の苦難を乗り越えていくほどに、
精神は若く、瑞々しくなっていく。」
この言葉は、
苦しみの意味を、ようやく手のひらで受けとめはじめた者の胸に、
そっと、灯のようにともる。
けれど、
混沌の中にいる相手に、
その光はまぶしすぎるかもしれない。
それは、
「老いることには価値がある」と
無垢なまなざしで告げるようなものだから。
そして、老いることで泣いているのか?
それもわからない。
母が泣いている理由はわからない。でも、生きてきた事実は伝えられる。
私たちは、
誰にも代わって問題を解消することはできない。
変わってあげたくても代われない。
だけれど、
その人を勇気づける言葉を伝えることはできる。
言葉は、
命そのものだ。
あれから相談者の彼女が、
お母さんに何を伝えたのか?
それは知らない。
誰も他人を変えることができない事実。
愛を伝えることぐらいしか、
不器用な私たち人間には、
できないじゃないか。