”死ぬことがない”とわかっている人たちにとって、「死ぬこと以外かすり傷」は何も意味しないのか。
投稿日:2025年5月19日 / 最終更新日:2025年5月19日
もっと永く生きたかった友人を亡くした悲しみ。
昨日の参加者様からの質問がありました。
「もっと、生きたかった友人が亡くなりました……」
「その友人のことを思うと、やはり悲しくなります……」
神妙な問いかけです。
誰もが「死」を考えるよね。
私も小さい頃、怖かった。
だけれど、以前のブログで書いたように、
16歳の時の死にそうな体験。
両親から、
「今夜は乗り越えられそうもない……」という言葉を聞いてしまった時、
死への恐怖というものが消えた。
「死とは、こんな安らかなことなのか?」と、
まどろみの中で思った。
だけれど、長生きはしたい。
もっと、まわりに役立ちたい。
こんな俺でも……
さて、話を戻さなくちゃ。
死の恐怖と、
長く生きたい友人を亡くした悲しみの話はまったく別だもんね。
名著。「死は存在しない」田坂 広志(著)。
物理学のゼロポイントフィールドの可能性が記されています。
古典。
必読書。
超!おすすめ。
「14歳からの哲学 考えるための教科書」池田 晶子 (著)
現象にもとづいて、
死という概念を教えてくれています。
彼女によると、
一人称の死はない。
生きている限り、
死を経験できない。
そりゃそうだ。
生きている限り、
私たちは、誰一人、死を経験できない。
「だから……」って、声が聞こえそう。
死がないことを知りたいなら、
彼女の著作を読むといい。
さて、参加者の問いかけ。
「もっと、生きたかった友人が亡くなりました……」
「その友人のことを思うと、やはり悲しくなります……」
家族。
友だち。
死ぬと動かなくなるからね。
まわりの人の死は、
見えちゃうよね。
聞こえなくなっちゃうよね。
それを見ている彼女は、
友人の死を動かなくなったことで確認する。
だけれど、
動かなくなった当人である友人は、
どうなってるんだろう?
ちょうど1年になるか。
20代の頃、
毎日のように遊んだ友人が、
旅行先の温泉で突然死した。
彼の通夜に集まった仲間たち。
同じことを口々にする。
「アイツ、まだ死んだことに気づいていないんじゃないか……」
「アイツ、きっと近くにいて、一緒に通夜に参加してるよな……」
そのアイツってなんだ。
仏壇に拝むときの相手(アイツ)ってなんだ。
そんなことが池田晶子さんの著書に、笑ってしまうほど理にかなって記されています。
もう、いっぱいいる。
見える身体が動かなくなる死と、
見えないアイツは死なないと知っている。
身体の死を遂げた見えないアイツは、
悲しんでいるのだろうか?
不思議に思っているのだろうか?
応援してくれているだろうか?
それは、魂としてのアイツ以外には、
わからないのではないだろうか?
私は、まったくスピリチュアル系ではありません。
だけれどね。
古典。
数百年、二千年のときを残された古の叡知には、
命の不思議が、
たくさん、
たーくさん、
記されてますよ~。
「死ぬことがない」とわかっている人たちにとって、
「死ぬこと以外かすり傷」は何も意味しないのか。
いや、意味する。
それは、本当のことを知らないということを意味する。
昨日の参加者様。
死ねないことを知って、
安心したのか?
哂ったのか?
眼は恩寵に満ちていた。