「死んでも、母親に『ありがとう』なんて言えない……」
投稿日:2025年9月11日 / 最終更新日:2025年9月11日
面と向かって言えないなら……
知り合って2年が過ぎた。
頑張る彼女。
夜勤の正社員。週末は喫茶店でアルバイト。自己免疫疾患を患っているとは思えない。
数週間ぶりに会った。離職を考えているらしい。「この場所じゃない。私の居場所って違う……」。その通りだと思う。
知り合ってから、2回、転職をしている。その度に、同僚、上司、会社への不満を口にする。
誰が選んだの。誰が決断したの。転職する事情は人それぞれ、だけれど、どんな場合でも、自分の選択であることには違いない。厳しいことかもしれないけれど、それに当てはまらない人間などいるのだろうか。
答えは、後からやってくる。
幼い頃、よく熱を出して、病院に連れて行ってもらった。
必ず、注射を打たれるけれど、数日で元気になった。注射が効いたのか、病院に行くだけで精神的な安心を得ていたのか。時代が変わった今でも、熱が出ると注射を打つものなのだろうか。
あれから55年が過ぎた。
我慢強い父を町医者に連れて行った。調子が悪いと言われてから2か月。病院に行きたいと言い出して、10日経った頃だった。これ以上、放っておくと高齢者虐待になってしまう。(笑)
診察に寄り添う。耳が遠くなった父に代わって、対応する。愛(かな)しいものがある。見えるものが曇る。ときは流れた。
5歳くらいだったころ、我儘を言いすぎて、酔っていた父親から暴力を受けたことがある。片足を掴まれ逆さにされて、グルングルン、振り回された。よい思い出。
30歳前、うつ病になった。守谷のサービスエリアで、1本135円の団子を3本買ってくれたお客様から1,000円を預かり、釣銭がいくらなのか計算できなかった。電卓を使っても、釣銭に自信がない。そこに父が飛んできて、「一生懸命さが足りない」と罵倒された。よい思い出。
父は高校を卒業して、70年家業一筋。88歳の今も現役で働いている。立派だ。それが、食欲がなくなり、夜は眠れなくなり、深刻な顔になっていた。体調の悪さが伝わってきた。病院に連れて行った。
医師からの一言
「どこも悪くありません」
父は何も言わなかった。父の代わりに「ありがとう」と告げ、クレジットカードで診察代を支払った。
父は、家に着くころには、元気を取り戻していた。「ホント?」と疑うほど……。
日常の何も変わっていない。高齢だから、何が起こるのか、誰にも分からない。父に体調を尋ねると「食欲もあるし、よく寝られるし、元気、元気」。気持ちの持ち方が、いつもの日常を変える。何も変わっていないのに、すべてが変わった。
学ぶ機会のなかった親を、私たちが育てていく番だ。
親に感謝しなくてもいいじゃん。死んでも言えないなら、言わなくていいじゃん。親だって、そんな気持ちの言葉を受け取れるはずがない。そして、抵抗があるなら、親が目の前にいると思って練習するのも良し。
好き好んで、その親の子どもに生まれたわけではない。
親も同じ、好き好んでその子の親になったわけはない。なにかの縁だ。
ただの縁なのだから、一番身近な学習教材にしたらどうか。私たちの、もっとも大切な部分に一番最初に触れてきた親。介入を続ける親。より良く生活する最高の教材ではないのか。間違っても、自分の子どもに同じことをしないようにするためのチャンスの連続。
もし、自分の子どもがかわいいのであれば、その機会を作ってくれたはじまりは、ほぼ間違いなく親であろう。
親という歴史から、もっと、もっと、学べるのではないだろうか。そうならなければならないのではないか。