赤松 史子
職業 コーチ・フロンティア 代表
医者に見放されたあの時。
そして、コミュニケーション心理学に出会った。
「完治に10年、20年はかかる病気。繰り返される病気。母親の愛情不足が原因の病気。母親との関係に問題がある病気…。」
どこに行っても必ずそう口にされるのが“摂食障害”です。私の娘は、拒食症でした。高校生になる娘は、みるみるうちに痩せて行き、身長163cmにして体重が35kg。
それでも、何かにとりつかれたかのように痩せようとしていました。そして、そんな娘を見てどうする事も出来ない私。そして、どうする事も出来ない医療がありました。
娘の拒食症に関してですが、心療内科では「自分が治りたいと思うまでは治らない」と言われました。娘にカウンセリングを受けさせようと思っても、彼女は「話すことはない」と言ってカウンセリングを拒みました。
ところが、私がコミュニケーション心理学を学び始めてたった3ヶ月。娘の“摂食障害”は回復へ向かい始め、6ヶ月後には治ってしまったのです。正に、目の前で奇跡が起こったのです。一流の専門医でも治せなかった娘の心の病。コミュニケーションはそれを短期間で治してしまったのです。
皆さん、この話が信じられるでしょうか?
きっと、信じていただけないでしょうね。なぜならば、私自身が今でも信じられないでいるからです。
でも、娘の拒食症を治したのは、紛れもなくコミュニケーション心理学がきっかけでした。
だから、私が今「コミュニケーション心理学ってどんなもの?」と誰かに聞かれたら、「とにかく凄いもの!!一度、体験してください。」と答えるでしょう。
ところで、私は娘の拒食症を治す為に、トレーナー協会で学んだわけではありませんでした。しかし、コミュニケーション心理学のおかげで娘の拒食症が改善して、娘の未来、そして、私、主人、家族の未来が明るくなりました。そんなコミュニケーション心理学の魅力を分かって欲しくて、あなたにそのお話を少しだけさせて下さい。
コーチングの違和感
私は以前から、心理学に興味があり、特に“言葉の力”には大変興味を持っていました。まず、カウンセリングを、その後コーチングを学びコーチの資格を取得しました。ところが、コーチングをする上で少し腑に落ちないことがありました。
それは、コーチングは精神的に健康で目標設定できる方には効果的であるが、そうでない方には効果的ではない、と学んだ点です。
人を取り巻く環境は日々変化します。
様々な予期しない出来事が起こります。元気なときもあれば、そうでない時もあります。私のように、自分の意志とは無関係に家族の病気に向き合う時もあるでしょう。1年に四季があるように、人の精神状態にだって四季があります。ネガティブな状態になったときに、コーチングで成果をあげるにはどうしたらいいのだろう。
そして、短期間で人を変化させる質問が出来るようになるには、何に焦点を当てたらいいのだろう…?無意識にその答えを探している自分がいました。
そんな折、たまたま参加したコーチングセミナーで奥山さんに出会いました。そして、一緒にワークをさせて頂きました。丁度、娘が拒食症になり始めた頃で、「コーチの勉強を辞めようか?どうしようか?悩んでいる」ということを、5分間のワークの中で奥山さんに話しました。
奥山さんは私の話しを丁寧に聞いてくれました。そして、「それで、あなたはどうしたいの?」と質問されました。結局奥山さんの言葉は、それだけでした。同じ質問を3回ほどされて、「アッ」という間に彼女との時間が過ぎました。
すると不思議な事が起こりました。自然に私の口から「コーチングをもっと続けたい!」という言葉が湧き出てきたのです。奥山さんから難しいことなど何も聞かれないのに、彼女とのワークを終えてみると、なぜかとってもスッキリと楽になっていました。
そして、目指す方向が明確になっている自分がいることに気づいたのです。
奥山さんが素晴らしいコーチだと実感すると共に、彼女が日本コミュニケーショントレーナー協会でトレーナーをされているということを知りました。そこで、直ぐに私は、学ぶことを決意しました。
1%の顕在意識より
99%の無意識
トレーナー協会で学び始めた頃は、娘の拒食症はひどくなる一方でした。娘も私たち家族も未来への希望が失われ暗黒の中にいるようでした。知らない方から見れば、私は平和な家庭の奥さんに映ったかも知れません。
何事もない顔をしながらコミュニケーションを学んでいた私。学んでいる間、希望が無い事を表情に出す事はしませんでした。「なぜ、コミュニケーションを学んでいるのか?」それは、コーチングの力を高める為、言葉のマジックを学ぶ為、言葉の与える影響力を知る為。そんな、理由を思い浮かべ考える時期がありました。
でも、10日間コースの半分が終わる頃には、そういう意識が全く消えていました。一つひとつのワークが楽しく、自分の心が浄化されていっていることに気付きました。そして、コミュニケーションを学ぶにつれて、一緒に学ぶ仲間に「早く会いたい!」と思うようになっていました。
明るい希望を持ち始めた私。ところが、その間も娘は、深い闇の中にいたのです。主人は、娘の拒食症を理解することが出来なかったようです。私がコミュニケーション受講の為に家を空けることで、娘と主人は2人きりの生活をしていました。娘の症状に理解を示さない父親と二人で過ごす彼女。その時間は娘には耐えられなかったようでした。そして、そんな娘の声を聞いて、私はコミュニケーション心理学を途中で辞めようかと悩んだ時もありました。
そんな時、ふと、今自分が学んでいるコミュニケーション心理学の中に、娘の症状を改善できる方法があるのではないか?ということに気がついたのです。
あの頃、大学受験を控えた娘は、次のような症状を見せていました。休みの日など朝5時から夜11時位まで、ずっと勉強をしていました。それでも受験に不安だったのでしょうね。「私、勉強できてる?大丈夫?私は大丈夫なの?」と何度も何度も私に聞くのです。
しかし、私は娘の不安を受け取る事が出来ずに「それは、あなたが一番良く知っているでしょう!」と、突き放したような言葉を返していました。
ところがある日、娘に不安を言わせているもう一人の娘がいるように見えたのです。『一生懸命に前に進もうと努力している娘の心』と『努力すればするほど、心配になってしまう娘の心』その葛藤の叫びが、私には感じられたのです。
そこで、娘が「私、勉強できてる?大丈夫?私は大丈夫なの?」と聞いてきた時に、次のように尋ねてみました。
「ママに、どんな風に言われたい?」
「ママが、どんな言葉をあなたに言ったら安心できる?」
娘に「何が心配なの?」という心配事を掘り起こす言葉ではなくて、「どうしてもらいたいの?」「どのくらい大丈夫だって言われたい?」という聞き方をしました。すると娘は、「大丈夫よって、沢山言われたい」と答えたのです。
その言葉を聞いた私は、娘をギュっと抱きしめて、「あなたは大丈夫、あなたは大丈夫、あなたは大丈夫」と言いながら、トレーナー協会で習った“3人のメンター”を一人でやったのです。すると、娘の表情がやわらかくなり、怯えてる感じから溶けていくのがわかりました。僅か1時間位の出来事だったかもしれませんが、それで娘が楽になった事が表情で分かりました。そして、それ以来娘は「私は大丈夫?」と、二度と私に聞かなくなりました。
これまで私は、娘が「大丈夫?」と聞いてくる意味がわかりませんでした。娘の不安で心配な気持ちを考えずに「自分が勉強していれば、大丈夫かどうかわかるでしょ」と娘に言ってしまっていたのです。
しかし、娘はただ見えない不安を解消したかっただけだったのです。トレーナー協会で学んで娘の気持ちの深い部分を初めて理解できました。その深い部分とコミュニケーションすることで、娘との関係が変わり始めたのです。
言葉にそのまま答えるコミュニケーションがあります。そして、言葉の裏側にある気持ちとコミュニケーションする事も出来ます。娘の言葉にそのまま応える「あなたは朝5時から夜11時までやってるのだから大丈夫よ」という言葉よりも、娘の無意識の中にある「不安だ」という気持ちに働きかける言葉が、私たち親子の関係を変えていったのです。そして、それがまさしくコミュニケーションの真髄なんだと痛感したのです。
ディズニーランドの奇跡
ある時、突然、娘が「ママ…、助けて…助けて…」と、か細い声で私に助けを求めてきました。娘は身体的にも、精神的にも限界に来ていることを私は悟りました。しかし、私はひるむ事はありませんでした。むしろ、私はその言葉を聞いて、専門家のお医者さん達が何と言おうと、「絶対に私が彼女を治す!」という強い信念を持ちました。
娘が私に助けを求めたあの時。「どうなったら、あなたは助かったって感じるの?」と聞いてみました。
「どんな時に、楽しいと思うの?」
「何をしているときには苦しい所から離れられるの?」
「できることなら、何でもやるから…」すると娘は「ディズニーランドに行きたい」と言いました。5月の連休の真っ最中でした。私は何が何でも、彼女を連れて行こうと思いました。そして、2日後、二人でディズニーランドに行きました。
今までの私なら「沖縄にでも行ってみる?ハワイは?」と言っていたと思います。自分にとってのパラダイスが娘にとってもパラダイスだろう・・・。そうです。自分にとって楽しい事が、きっと娘にも楽しいはずだ!自分勝手にそう思い込んでいたのです。
コミュニケーション心理学を学んだ私は、自分の価値観と娘の価値観を切り離し、娘の価値観、娘が大切に思う心をすっと受け入れ、自然に娘の意向を聞き入れることが出来るようになっていました。そして、今回は娘にとっての楽しい体験を存分に味合わせてあげようと決めました。
摂食障害の症状がピークだった時でもあります。娘にとっては「食べることが悪」と感じているようでした。ところが、ディズニーランドで入ったレストランで、予期せぬ出来事が起こりました。私たち親子は、運良くパレードが見える窓際の席に座る事が出来ました。更に、そのレストランは、食べても良いし食べなくても良しのバイキングだったのです。娘には食べなくてはいけないと言うプレッシャーのかからない場所でした。
娘はレストランの席についた瞬間に顔がぱぁーっと明るくなりました。そして、パレードを見ていた彼女は突然、「食べても大丈夫かな〜?」と私に話して来たのです。私が「大丈夫かどうか試してみようよ!」と言うと、彼女はお皿を4回ぐらいおかわりしたんです。その時も私は、「今、どんな感じがする?」「好きなもの食べるのって幸せだよね。」と話しかけて、その体験を深く娘に味合わせる事をしたのです。食事をしながら、パレードを見ました。視界の奥にはシンデレラ城。今、こうして見えているものや、感じていることをたくさん話して、その体験を親子で共有したのです。
ところが、ディズニーランドの楽しい体験、楽しく食事をした体験も長続きはしませんでした。家に帰ると何にも食べないんです。娘に聞いてみると、吐き気がすると言うのです。理由を探してみると、食事の時、娘の視界に食欲を無くさせる原因が見つかりました。実は、食卓では娘の斜め前に主人が座りますが、娘にはそれが苦手なようでした。
主人はシャガールが好きで、主人の後ろには暗い印象のシャガールの絵が飾ってあったのです。そこで私は、娘と選び購入したお気に入りのディズニーの絵とその絵を掛け替えました。
そして娘に、「嫌な気持ちになったら、あの絵を見てね」と言いました。彼女から見えるような場所にディズニーの絵を掛け、ディズニーランドに行った時の楽しかった体験をすぐに思い出せるようにしたのです。
すると、不思議な事が起こりました。娘は家にいながら、ディズニーランドでの出来事をイメージすることによって気分が変わることが出来たのです。食卓に掛けたディズニーの絵を眺めながら、ディズニーランドの体験を再体験する事で食欲を出す事が出来るようになったのです。
娘はそれをきっかけに、自分の部屋にもディズニーランドで撮った写真を貼りました。更に、大学に合格したら行こうと約束している憧れのホテルの写真までも貼っていました。目に入る部屋の壁に、彼女の気分が良くなる写真などを貼ることで、自由に気分を変える方法を彼女は身に付けたのです。
今、彼女は定期入れに、ディズニーランドで私と一緒に撮った写真を入れています。年頃の女の子ですから、好きな子の写真やアイドルの写真を入れれば良いのにと思うのですが、彼女にとって、その写真はお守りで、辛い時に見るのだと言っています。
私は私。娘は娘。
コミュニケーションを学んだ私は、今まで、ありのままの娘を受け入れていなかった事に気づきました。自分は一生懸命やっていたつもりでした。しかし、私が娘に与えていた愛情は、必ずしも娘が欲しい愛情ではなかったのです。
コミュニケーションを学ぶ前提に「地図は領土ではない」(自分と他人は違う)というものがありますが、それは親子であってもそうだと認識しました。今 娘をありのままに受け入れられ、それによって娘は安らぎや安心を得られたのではないかと思っています。
彼女に、「何がきっかけで良くなったと思う?」と聞くと、「ディズニーランド」と、答えるのです。「具体的に何が良かった?」と聞くと、「自分も楽しめるってことがわかったこと」ということを話してくれました。以前は、「私には居場所がない」ということを盛んに言っていた記憶があります。今考えると、それは娘自身が楽しむことが出来なかったという事なのかも知れません。
「ママ、楽しむっていいね」
その後、お誕生日のお祝いでホテルのバイキングに出かけた事があります。前にも行ったことがあり、周りの人もいろいろ話しかけてくれたりして、気分も良くなったのでしょうね。
食事をすませた後「ちょっとアイスクリームとかケーキとか食べてみようかな」と言って食べ始めたら、止まらなくなったんです。とうとうお腹を壊してしまいました。
でも、それから、「私は食べられる」と言うようになり、自分でも安心しているようでした。夏休みにはよく二人で外食しました。外食は、周りにおいしそうに食べている人がたくさんいて、その雰囲気に娘は安心感を見いだしていたので、ファミリーレストランによく行きました。恐る恐るマクドナルドに行ったときには「マック食べれた!」と言って娘はハシャギだしました。
娘にとってマックを体験する事は凄いことだったようです。この時も、私は、スペースアンカーと言うスキルを意図的に使いました。拒食症になる前の娘は、外食の雰囲気や場の空気感が好きだったのです。
コミュニケーション心理学を知ってから、外食をしに行くことで彼女の無意識の中に眠ってしまった「楽しかった感覚」が思い起こされるのではないかと考え、その可能性にチャレンジし続けました。そして見事に彼女は「食べることの楽しさ」を思い起こしたのです。
娘はこれまでも、嬉しいことに対して喜んでいいのか?というところがありました。私が「行こうよ」と言っても、「行ってもいいの?」という所があったのです。「食べられないかもしれないのに、お金もったいなくない?」と言って、自ら出かけるのを遠慮していたようです。
摂食障害が改善した今、娘はどこにでも出かけられるようになりました。娘は「私は、楽しんでいい!人生は、楽しむ為にある!」と、自分の人生を前向きに考える事が出来るようになったのです。
ある日の出かけた帰り道の車中。後部座席に座っていた娘から、「すっごい!楽しかった」「ママ!楽しむっていいね!!」という声が聞こえてきた時、私は運転しながら「そうだね、そうだねって」と言って、号泣してしまいました。
良かったことノート
もう一つ、娘の拒食症改善に役立った習慣があります。それは、「良かったことノート」というものです。書いている内容は、「ママが私の為に何かをつくってくれた」とか、「今日は、魚が食べられた」とか、一日の中で良かった事を報告し合うノートです。
娘は、何かあれば「どうせ私はダメ」、「私なんてダメ」等と、拒食症になってから語尾がとてもネガティブでした。
そこで、「語尾をプラスになるように変えてみたらどうなる?」と、娘に問いかけてみました。最初の慣れないうちは、全然できませんでした。ところが、少しずつ変化しました。
「雨だったけどあまり濡れなくて良かった」
「塾で疲れたけど新しい友達が出来て良かった」
「私は頑固だけど粘り強い」
というようなことを、書くようになったのです。「今 起こっていることの良い所を書こうよ!」とリフレーミングを試みたのです。その一場面一場面をプラスに変える練習をしたのです。
何気なく過ごしている毎日。でも、一日を振り返ってみると、たくさん良い事が起きているのです。
「洗濯ものがキレイに乾いた」
「良いお天気だった」
この程度のことなら、日常に沢山あるのです。プラスの場面というのは、無いのではなくて、見つけられないだけなのです。
そんな言葉遊びをしていたら娘が、それを記録に残したいと言い出しました。そこでノートを買いました。シールを貼ってキラキラに飾り「良かったことノート」が始まったのです。あの時から、良いことを見つける習慣ができました。一日3、4個くらいずつ、ネガティブに思いつくことを「良い風に変わったらどう?」ってリフレーミングをしました。この「良かったことノート」も摂食障害を克服するのに役だったのです。
小さな気づきでいい
やわらかな娘の心の状態が作れたというのは、コミュニケーション心理学を学びながら「私自身がありのままの自分で良いのだ」と自分にOKを出すことができ、見えない重圧から解放され不思議と優しい気持ちになれたことが大きかったのかもしれません。
それは、世話を焼くなどという優しさではなくて、『娘の心を感じられるようになった』ということです。表面上の言葉のやりとりだけではなく、その奥にある『娘の思い』を感じ取れる。
そして、自分を無意識の深い部分で認め、自分に優しくなれたからこそ、周りの人に対しても柔らかい気持ちで接することが出来るようになったのです。娘は18歳ですが、今の私には、小さかった頃の娘の姿が重なって見えます。何を伝えようとしているのか、言語ではなく非言語で発せられているものを見て感じて理解しようとしていた。娘が幼かったあのころのような「心の目で」娘を見ている自分がいる事に気付きました。
コーチングを学んでいる時に常に感じていた、『プラスの人のみを更にプラスに持って行くという』不協和音。そして、マイナスの人を扱わないということ。それは成果が簡単に出るのかも知れません。しかし、人間、生きている間は、色んな出来事があります。上手くいかなかったりしてネガティブになる場合もあります。
私は、「上手くいかない時こそ『暗闇の中にも出口がある』という事を見つけてあげたい」と思うのです。関わる人の状態によって、カウンセリングやコーチング、セラピーを柔軟に使う事が大切です。私はコミュニケーションを学んで考え方がとても柔軟になりました。そして小さな気付きをとても大切にする事が出来るようになりました。
娘の拒食症が治ったのは、ディズニーランドがきっかけだということを本人は言います。そして、何度も「私は大丈夫?大丈夫?」って繰り返し言っていた事や、極度の不安に襲われていた事、ほんの少しの脂でも食べないように必死だった事など、今では、何も覚えていないと言います。私は、過去の娘の嫌な記憶が、彼女の無意識レベルで書き変わっているのではないかと思っています。
もしかすると「あなたはあなたのままでいい、ありのままのあなたで良い」という気持ちが湧き出てきたのかもしれません。顔つきが変わりました。おおらかになり、よく笑うようになりました。何より良かったのは、いつも、起こった出来事の良い面に、視点が向かうようになったことです。
トレーナーの皆様へ。「ありがとう」 9月に トレーナーから、義理の妹さんのお話を聞きました。そのお話を聞いた時に、娘の「ママ・・・助けて・・・」という言葉が重なりました。そして、強烈に心を打ちました。
娘のことがなかったら、トレーナーさんのお話も一つのお話として聞いたかもしれません。その話し方と声が重なって、トレーナーさんがどんなに辛かったのだろうと思い胸が痛みました。人を救えなかったということで、自分を責めた話。身近な人の役に立てないのに、自分が心理学を伝えるのが相応しいのかと悩み苦しんだ話。自分は何か役に立っているのかと、過去を振り返った日々。
トレーナーさんが「役に立ってるのかな!」とお話しされた時に、私はどうしても娘の事を伝えたくなりました。
「トレーナーさんは、少なくとも私を通して娘を救ってくれました。10年も20年もかかると言われていた『拒食症』。
もし、娘にしていた昨日までのことを、あと10年やれと言われたら、私は耐えられなかったと思います。拒食症の娘を抱える気持ちを(母親が悪いと非難される事はあっても)理解される場もなく、孤独で、私は絶望し辛く苦しかった。でも、トレーナー協会の存在によって、そしてコミュニケーションを学ぶ場を与えて下さったことによって、少なくとも私と娘は暗闇から救われました。
一生の財産
コーチングの勉強をしていた時に、自分と未来は変えられるけど、他人と過去は変えられないというものがありました。
でもコミュニケーション心理学を体験して、自分が変わる事で過去も他人も変わるということを初めて体験しました。子どもの拒食症ともつながることですが、過去は変えられないのではなくて、過去の意味づけを変えることで大きな変化が起こることも体験しました。そして、過去の意味づけが変わると、未来までが変わっていきます。
コミュニケーションでは、問題の原因を追及しないで変化を起こしていきます。なぜならば、問題を掘り下げれば下げるほど傷ついてしまい、気分が滅入ってしまいます。コミュニケーション心理学では望ましい状態を作る時、持っているリソースを使って未来をつくっていきます。弱みを強みに変えるのがコミュニケーション心理学で、小さな気づきが大きな変化を生むのです。
トレーナーから紹介された書籍の中で、可能性療法というものがありました。原因を追及するより可能性があるという前提で取り組みましょうというものなのですが、私はそれにとても救われました。責められている感じが無くなっていきました。
なぜなら、「子どもが拒食症です」と病院で言うと、「お母さんの責任だ!」といつも言われていました。そんな時、この本のおかげで自分を責めなくても良い、前を向こうという気持ちにもなれました。そして、自分を責め続けても、誰かを助ける事が出来ない事も知りました。
コミュニケーション心理学を学び、目には見えない、はかり知れない大きなものを手に入れた気がします。そのことによって、心が豊かになり、結果として人生が豊かになりました。コミュニケーションは人生の財産、一生の財産です。
トレーナー協会の方々には 温かい空気感と安全で安心して学べる場を提供してくださった事にとても感謝しています。そのような「雰囲気や場」が、自己解放や無意識への自然なアプローチを可能にし学びが深まることを実感しました。知識やスキル以上に、こころを大切に関わって下さったトレーナーの方々、一緒に学んだ仲間に心から感謝しています。
そして、最愛の娘にも・・・
「ありがとう」。
プロフィール
赤松 史子
航空会社退職後、心理学、カウンセリング、コーチングを学び プロコーチとなる。
誰もが持っている無限の可能性を引き出し、カウンセリングメソッドを合わせたコーチングでワクワクしながら目標達成していくプロセスをサポート。
クライアントの「本当の思い」に耳を傾け目指すビジョンを明確にし、「なりたい」を強力にサポートするプロコーチ。