「仕事がなくなって、何も考えられなくなってしまった」大切な仲間への手紙。
投稿日:2025年6月9日 / 最終更新日:2025年6月9日
よく仕事する仲間。
多分、
そうとうに真面目。
よく食べる。
お酒も飲む。
ロング缶、いっちゃう。
そんな仲間から、
SNSがきた。

なんかのついでに、
「仕事がなくなって……」の近況がついていた。
こりゃヤバイ。
生活できなくなっちゃう。
もし、人材育成担当者さん、
コーチ、カウンセラーなどの職種の人がいたら、
問題解消に役立つポイントがあります。
彼女のメッセージの間違い。
このメッセージには大きな間違いがある。

余計なお節介を返した。
だって、
言葉を変えるだけで気持ちが変わるんだから。
すると、
早々と彼女から返信がきた。

このメッセージにも問題解消に役立つキーワードがある。
だけれど、
彼女は気づかないんだ。
いつかは気づく……
今!気づけ!
誰が彼女を見ているんだ。
最初のSNSメッセージ。
「連絡できず、申し訳ありません。
仕事がなくなって、何も考えられなくなってました。
すみません。」
何も考えられなくなったのは彼女。
その渦中に、
誰が俺のSNSに返信しようとしたんだ。
すごく混乱すると思うけれど、
どんなに深刻な状態でいる時でも、
「このままじゃダメだ。」
「やるべきことがある。」
「あっ、返信しなきゃ。」
こういうふうに、自分を取り戻してくれる存在が「在る」じゃん。
この第三者的に物事を観察できる視点。
ただ「在る」から、
自分が観察されている。
この視点が重要なんだ。
いろいろな古典に記されていることだ。
約10年ほど前。
悩んだんだ。
深刻に悩んだ。
ただ、
ただ、
どうしたらいいのか?と悩んだ。
数か月、
ずっと悩んだ。
そんなある時、
すぅーと感じた。
「俺がいる」。
こんなに苦悩しているのに、
「俺がいる」。
ただ「在る」。
そう思っただけ。
何も解決はしない。
だけれど、
ただ「俺がいる」という「在る」感覚を味わっていたら、
『大丈夫』なことに気づいたんだ。
開けたんだ。
何の問題も解消していないのに……
師匠への相談。
ただ「在る」。
それに気づけた俺。
(後にデカルトの『方法序説』を読んでナルホド体験)
すんごい悟りかも?
と思って、師匠に連絡した。
「私って、ただ『在る』だけでいいんじゃないでしょうか。」
すると、師匠。
「椎名君そうだ。そして、あと一歩。」
そして、今まで、どうにか生きてこられたんだ。
ほんと、
どうにか……
「在る」ことに気づく。凄ことなんだ。
彼女の場合。
「在る」ことに気づいたら、
“仕事そのもの”に同化するんだ。
すごく重要なことなんだ。
「仕事」ってなんだ。
「仕事」になりきり、
「仕事」を味わい尽くすんだ。
間違っても、
次の「仕事」を探すんじゃないんだ。
失わない「仕事」を選ぶことじゃないんだ。
ただ「仕事」に同化するんだ。
そして、
問うんだ。
これって、
何なんだ。
仲間と俺は違うけれど
俺が仕事で行き詰まったとき。
会社の経営が立ち行かなくなった時。
社員の離職が止まらなくなった時。
コロナ禍で、
ある事業部の売り上げが前年比20%まで落ちたとき。
俺の場合、
過去に「仕事」とは何か。を問い詰めた経験が生きた。
俺の「仕事」の定義は、
ドラッカー流の「貢献」。
いかなる状況下でも、
「貢献」を考えるようにした。
「人生最後の日まで『笑顔』と『健康』で生きるためのサービスを提供する」
コミュニケーション事業部なら、
「人生最後の日まで『笑顔』と『健康』で生きるためのコミュ力と心理学を提供する」になるんだ。
これらは使命(ミッション)と呼ばれるもの。
どんな困った状態になっても、
この視点で会社の仲間たちと一緒に事業を見つめ直すんだ。
それが、ただ「在る」という使命の視点で、
何も分からない未来を乗り切る知恵なんだ。
ただ「在る」。
その視点を持つ。
その視点で生きるんだ。
そして、
その視点で問い続けること。
先行きが不透明な時代を楽しむんだ。
根本的に変わるから!
そう。
これが答えのない人生を生きる問い。
古の叡知から学んだんだ。