【解説】『自己犠牲』で生きたある女性の恩寵。変わるというのは、自分に起きた出来事の本当の意味を知ること以外に起きない。
投稿日:2025年6月8日 / 最終更新日:2025年6月9日
『自己犠牲』で生きたある女性に与えられた恩寵。
変わるというのは、自分に起きた出来事の「本当の意味」を知る以外には起きない。
自らの進む道を照らす光を見つける方法は一つ。
『自己犠牲』の人生。
その選択、少なくないな。
女性。
もしかすると、
男性は、
そうだとしても口にしないのかな?
『自己犠牲』の人生。
どんなんだろう。
辛いよね。
あとで、一人になったとき、
後悔しちゃうのかな?
『自己犠牲』になる時、
こんなふうに思うのかな?
「嫌われないために……」
「一人は、寂しいから……」
「否定されないように……」
「恥をかきたくないから……」
「仲間外れにされないように……」
「上辺だけの付き合いでもいいから……」
自然にそんな態度を示すんだろうなぁ。
そして、
家で一人ぼっちになったとき、
いたたまれなくなるのか。
自分を表現しなかったことを悔やむのかな?
俺は、『自己犠牲』の人生のテーマの解消法を知らない。
だけれど、
『自己犠牲』を味方にする方法なら知ってる。
『自己犠牲』って、これかな?
『自己犠牲』とは、
自分の時間、
気持ち、
幸福、
人生を、
他者や大きな目的のために差し出すように生きること。
美徳とされることもあれば、
自己喪失や依存の現れと見なされることもあります。
こんな感じかな?
『自己犠牲』で悩む理由は、
それを良くないと思っているから……
悩む理由。
絶対的1位。
生きているから。
もしかすると、
死んだ後も悩むのか?
それは分からない。
生きている人で、死んだ人はいないから。
第二の理由。
『自己犠牲』を良くないことだと思っている。
さらに、それを深刻にするワナ。
『自己犠牲』で生きてきた、
「これまでの時間を取り返せない……」と思っている。
きっとそうかな。
あーぁ……
その『自己犠牲』で、まわりは喜んだのか?
最近のこの事件、知ってる。
笑うしかない。
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元農水大臣だった方の「小泉農水大臣の施策、お米5kg、2,160円。」に対する、
自分を見失った暴挙。
「(小泉農水大臣は)お父さんに似て相談することなく、
自分で判断したものをマスコミに発表している」
「小泉大臣が備蓄米を随意契約で売り渡す方針を党の農林部会に諮らずに決めた」
「森山先生なんかに相談に来ていないと思う。
終わりましたら森山先生からチクリとやっていただかないと、今後が心配」
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お米が高くなって困っている現実に対して、
この国会議員さんの発言は『自己犠牲』の発言か?
まったく違う。
『自己犠牲』の逆、自己中心。
そして、こういう自己中心的な意見は最低だよね。
そう考えると、
自己中心的と相反する『自己犠牲』は、
なんか善いことがありそうじゃん。
『自己犠牲』ができるなら、もうすぐだ!
迷ったときに、
自らの進む道を照らす光を見つける。
その方法は、
一つしかないんだ。
先人から教えてもらったんだ。
某元農水大臣の暴言は、
ダメなことに気づいたかな?
ダメを超えて、
最低だよな。
じゃ、これは?
石破総理大臣は13日夜、記者団に対し、
今月3日に総理大臣公邸で行った自民党の当選1回の衆議院議員15人との会食に先立って、
出席議員の事務所に、
1人10万円分の商品券を届けたことを明らかにしました。
石破総理大臣は、
「私自身の私費、ポケットマネーで用意した。
政治活動に関する寄付ではなく、政治資金規正法上の問題はない。
私の選挙区に住んでいる人はいないので公職選挙法にも抵触せず、
法的には問題がないと認識している」と述べました。
これ日本国総理大臣の発言だよ。
「驚き桃ノ木山椒の木(おどろき・もものき・さんしょうのき)」
「公職選挙法にも抵触せず、法的には問題がないと認識している」
簡単に言えば、
法律に違反してなければ、
「何してもいいって言っちゃったんだ」 。
そして、大切なことだ。
自己中心的な人のまわりには、同じ価値観の人が集まるんだ。
集うんだ。
自己中心的なものどうして、
肯定し合うんだ。
ヤバくない?
何でそんなこと知ってるの?
はーい。
俺がそうだった。
お金儲けしか考えていなかった。
そういうセミナーばかりに時間とお金を費やした。
そして、多少、儲かったよ。
だけれど、
心は侘しいものです。
自己中心的なやり方でお金を儲けても、
自尊心は欠けていくばかりだよ。
俺は、2003年に偶然の出会いから、
自己中心的な生き方から出るチャンスを得た。
自己中心的な生き方ではなく、
『貢献』する生き方を知ったんだ。
そのテクニックを知って10年。
やっとそのテクニックを自分のものとして成果が出るようになった。
態度で示せるようになった。
テクニック(知識、やり方)は、
教えてもらうことができる。
だけど、自ら生み出す態度になるまで10年。
何も考えずに、
自ずからそうできるまで20年。
さて、
自己中心的な発言の総理大臣より、
『自己犠牲』で生きる方が誇りある人生じゃないか。
そう思わないか。
『善』で生きるんだ。
自己中心的な言動より、
『自己犠牲』で生きた方が善いと思う。
だって、
国民を落胆させる人より、
『自己犠牲』で生きた君の方が、
透き通る目をしていたじゃないか。
(※国会議員の方の目より透き通ってるよ!)
『自己犠牲』で生きるって、
まわりの喜びを優先したってことだろ。
その恩寵は、目に宿るんだ。
まわりの為に生きてきた人って、
目がキレイなんだよ。
だって、
本物と偽物を見極める力が宿されたから。
そう。
偽物と出会っても、
笑顔で交わせる魔法をもったんだ。
だから、
気遣いしすぎる『自己犠牲』の生き方を工夫するんだ。
そして、
みんなにとって善い選択をする、
『善』で生きれるようにするんだ。
これは、自己中心的な生き方をしている人には難しいことなんだ。
でも、『自己犠牲』で生きてきたんだったら、
すぐに切り替えられるはずだ。
自分への問いかけを変えるんだ。
「嫌われないために……」
「一人は、寂しいから……」
「否定されないように……」
「恥をかきたくないから……」
「仲間外れにされないように……」
「上辺だけの付き合いでもいいから……」
こんな幻想。
怖れを手放すんだ。
そして、
「みんなにとって『善』いことは何か?」
これだけを考えるんだ。
ビジネス界なら、
20世紀最高の知の巨人、ドラッカーさんの言葉だ。
「困ったら貢献を考えよ!」
だけれど、
その貢献は『自己犠牲』ではないんだ。
みんなにとって『善』いことは何かを考えるんだ。
それでも、
これまで『自己犠牲』で生きてきた時間がモヤモヤするか。
整理できないか。
昇華しないか。
時間をかけたらいい。
時間の分、
一所懸命にまわりを中心に生きたんだ。
その分、
まわりの同じ境遇の人を助けられるんだ。
残念だけれど、
自分の問題だけを解消したいだけでは、
どの心のテーマも乗り越えるのは難しいよ。
だって、
変わるというのは、
自分に起きている出来事の本当の意味を知ること以外に起きないんだ。