自分を見つける方法!「私が生きる価値は……」「自分の使命が見つからない……」「私って何……」。
投稿日:2025年6月5日 / 最終更新日:2025年6月4日
彼女の父が他界してから7年、お墓参りに行かなかった思い。
よほどの事情があるんだよね。
何かがあったんだよね。
人には、話せないことがあるんだ……。
そんな彼女が、
何かをきっかけにお墓参りに行ったんだそうな。
きっと、涙が溢れたろうな。
想像でしかないけれど……
これって、
自分を見失ってたことじゃないかな。
そして、
自分というものを取り戻したことなのかもしれない。
今は、空に向かって、
毎日、お父様と会話しているらしい。
美しいね。
ウナギを食らう。
食事に行こうと誘われた。
参加者は6名。
ウナギです。
美味かった。
はじめて会う方もいて、
無口な私は、
3時間の食事中、
ほぼ、しゃべらなかった。
こう見えて、超、人見知り。
その場を仕切ってくれたのは、
現役生活を終えた先輩。
はじめて同士の者がいるからなのか、
気を使ってくれた。
先輩。
3時間、
喋り尽くした。
よう喋る。
私は喋らない。
自分を見失いたくないから。
酒の席だから、
騒音語に混じるのも、いいのかもしれない。
騒音語とは、
スイスの哲学者マックス・ピカート(Max Picard) の言葉。
「何の目的もないおしゃべりというものは、
他のおしゃべりの中に滅びてしまう。」
そんな中に、自分の言葉を使いたくない。
言葉は、安っぽいものではない。
騒音語が嫌いではない自分もいる。
だけれど、はじめての方の前では、何を言っていいのかがわからない。
「自分探しをしている人が多いですよ……」
7年以上、
お父様のお墓参りに行かなかった彼女から教えてもらった。
自分を見つけ、
シッカリ自分の足で歩いている。
「自分とは何か?」
考えるほどに、立派な問いだよな。
だって、自分というものを問うということは、
真剣に生きようとしているってことじゃん。
俺なんか、「考えたこともない!」と気にも留めていなかった。
だけれど、
『自分とは何か』を問われたとき、
答えに困った。
俺って、自分を知らないじゃんか……。
そんな時に、
その答えに出会えた。
「なーんだ。そのことだったら2003年に教わったことだ!」
「ドラッカー先生マネジメントで、高いお金を払って学んだじゃないか!」
「それを実践したから、『問題』を考えることを後回しにできた。
機会を先に考えられたんじゃないか!」
令和の米騒動に見る自分探し。
お米5kg、2,160円。
助けられている人は、
たくさんいるんじゃないかな。
そんな時、自分を見失ったかの元農水大臣の言葉。
「(小泉農水大臣は)お父さんに似て相談することなく、自分で判断したものをマスコミに発表している」
「小泉大臣が備蓄米を随意契約で売り渡す方針を党の農林部会に諮らずに決めた」
「森山先生なんかに相談に来ていないと思う。終わりましたら森山先生からチクリとやっていただかないと、今後が心配」
これは自分を持っている人の発言か?
魂の言葉か?
自己中心的なエゴの言葉だよね。
お米が買えなくて困っている人がいる現状があるのに、
自分の都合が優先。
自己中心的なエゴが自分なら、
そんな自分がない方がよくないか?
エゴは、外敵から身を守るために必要だけれど、
お米を買えなくて困っている国民にがいる中で、
幼稚な自分を出しちゃってどうするの?
この元農水大臣が大切にしている自分とは、
既得権益でしょ。
いい勉強。
『自分とは何か』を学ぶいい勉強。
本当の自分を見つけられるのは、
こういう時。
古の叡知が教えているじゃないか。
「みんなにとって善いことは何か?」
無私となって『善』の精神で生きること。
こういう古の叡知。
かの農水大臣も知っていたのでは?
そう。
誰もが知っているはず。
彼も『良心』が恥じたでしょう。
こんな偉そうなことを言っちゃう俺。
さんざん、『良心』に恥じることをしてきた。
だから、
少しは上手に生きられるようになった。
飲み会の席でも、
軽口を慎むようになった。
あの飲み会は、
自分を感じられる素敵な時間だった。
自分にはいろいろなレベルがあるようです。
エゴの私。
家族の中の私。
社会的な私たち。
そして、
無私の私。